岩内町郷土館ブログ

岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
岩内町に関する情報や岩内町の様子などを発信しています。

できごと令和5年度第一回企画展「雷電国道の歴史」

みなさんご無沙汰しております! 郷土館令和5年度の第一回企画展「雷電国道の歴史」は、4月15日(土)〜6月11日(日)の期間開催しております!

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 今年2023(令和5)年は、1963(昭和38)年に開通した国道229号「雷電国道」の開通60周年、そして現在の雷電、刀掛二大トンネル供用開始から20周年となります。還暦の雷電国道、成人式の双子の姉妹トンネルです! 

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 岩内町敷島内の古番屋から、蘭越町の磯谷港までの通行は、古く松浦武四郎の時代から重要な交通路とされてきましたが、峻険な峠を越える山道、断崖絶壁の岩肌を伝う海沿いの道、いずれも命がけの過酷な道でした。ここに近代的な道路を開くことは、岩内をはじめ近隣住民の長年の願いであったのです。
 普段私達が、なにげなく当たり前に通っている道路には、さまざまな歴史と物語がありました。

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 今回の企画展では、小樽開発建設部の強力なバックアップによりトンネル図面、ドローン撮影動画、貫通石コレクションなど、一般にはめったにお目にかかれない資料ももりだくさんです! 

 皆様のご来館、お待ちしております〜!



posted by 岩内町郷土館 at 2023年04月16日10:19 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと第一回歴史講座「1922有島武郎の岩内講演」

去る4月24日、郷土館にて歴史講座を開催しました。テーマは「1922年有島武郎の岩内講演」。有島の、生涯の最初にして最後の岩内訪問についてお話をしました。

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(安達牧場の有島武郎(左)と木田金次郎)

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(岩内白水会。前列右が29歳の木田金次郎)

1922(大正11)年、今から100年前の7月、有島武郎は木田金次郎をはじめとする白水会の要請で、岩内を訪れ講演をしました。その詳しい様子が記録された『白水会記録會計』と、昭和3年に雑誌「婦人倶楽部」に掲載された『有島武郎の日記』をもとに、有島が岩内のどこに滞在し、何を食べどんなことを思ったのか。その様子を時を追って調べてみました。

まず、狩太の駅から小沢で乗り換え、岩内の駅に降りた有島武郎は、御鉾内町(現在のドーム公園付近)の藤田旅館に入ります。

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(当時の藤田旅館。右は昭和5年岩内地図の拡大部分)

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(昭和5年岩内地図。関連するところに〇がついています)

 その後、岩内町役場議事堂へ向かい、およそ一時間半の講演を行います。演題は「惜しみなく愛は奪ふ」。会場は400名もの聴衆が詰めかけ、さらに講演のあと宿に戻ってからも、有志の青年たちと深夜まで対話をしています。「実に彼らの熱心な事には驚くほかなかった」と有島は回想します。
 中央から遠く離れた北海道の西端の漁業の町で、これほど多くの人々が熱心に有島の話に触れたということ。岩内は「進取の気質」の町であるということがよくわかります。

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(明治36年に竣工した岩内町役場。議事堂はこの中にあったと思われる)

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(岩内女子小学校)

 次の朝、村上別荘を訪れたのち、有島は女子小学校で男子小学校からも来た生徒約600人を前に講演します。演題は「一人の為めに」。有島は講演中「涙が出て仕方なかった」と語ります。子供たちの純粋な命に対し、真剣に語りかけた有島の姿が浮かびます。有島の文章は当時、小学校の教科書にも採用されていました。
当時の岩内の子供たちは、どんな思いで作家の言葉を受け止めたでしょうか。

 その後、有島は木田金次郎の家を訪れて、昼食を振舞われます。
 金次郎の父、木田久蔵は当時健在で、所有している漁場がその後漁港工事の影響で失われてしまうのですが、いまだ現役であった漁業家木田家を訪れています。

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(昭和5年岩内地図の木田久蔵の家。現在の大和埠頭付近)



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(安達牧場。笑顔の有島武郎)

 その午後、有島は三十人ほどの青年たちとともに、安達牧場へ散策します。牧場では夏の爽やかな風が吹き、新鮮な牛乳、菓子などが出され、有島は心のままにホイットマンの詩を朗読します。「時間の短いのが惜しまれた」と回想します。

 これがちょうど100年前の、有島武郎の岩内訪問でした。
 一年後、悲しい心中事件が起こる事など誰も想像し得なかったほど、平穏な幸福な訪問でした。そしてこの訪問と出会いが「白水会」という青年グループを生み出し、大正デモクラシーの時代の岩内において、人々の人生に大きな波紋を生み出していくのでした。



posted by 岩内町郷土館 at 2022年04月27日12:41 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと高橋常四郎翁の直筆の和歌を発見

北海道に出された緊急事態宣言のため、岩内町郷土館は5月18日(火)〜5月31日(日)の期間、臨時休館となりました。なお、お問合せや資料調査等、ご連絡の必要な方は、お電話、メール、メッセージにて対応可能です。お気軽にお問合せ下さい。

 さて、昨日資料室で見つけたのは、明治時代、岩内に於いて「私立岩宇同修学舎」という私学校を創設した高橋常四郎の直筆の和歌です。高橋翁は旧会津藩士で、戊辰戦争以降、並々ならぬ苦労の末に岩内へ来られました。そして当地の教育者として功績を残しただけではなく、和歌の道にも造詣が深く、流麗な筆使いと「恒道」という雅号で、一目でそれと確認できました。

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「京都在番の折洛東百 
 萬遍知恩寺なる屯所に
 夜もすがら法の声をきき
           て
   高はし恒みち
 百萬かへし唱ふる
 法の師も安御代
 いのる外やなからむ」

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「寄錦木恋
 身に負はぬにしき木とてや千歳まで
 たつれど人のつれなかるらむ」

 ほか、全部で7枚ありました。大切に保管します。

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先日の、ホリカップ浜より雷電刀掛岩を望む一枚。

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袋澗みなとの跡があります。

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望遠で対岸を写してみました。西校とマルハンが見えましたー!

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岩内山です。いよいよ夏バージョンの衣替えですー。

posted by 岩内町郷土館 at 2021年05月18日16:49 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと泊村ヘロカルウシの「見返り岩」探索

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2021年が始まりました。本年も岩内町郷土館をどうぞよろしくお願いいたします!

さてこの一枚の古写真は「(岩内)古宇海岸見返り岩の奇勝」という説明付きの、昭和10年に発行された記念ハガキです。
 これがいったいどこの場所か皆目見当もつきませんでしたが、こんな素晴らしい景色が、岩宇のどこかにかつてあったのか…と思っておりました。郷土館の昨年度第3回企画展「郷土館お宝・珍品展」にても、パネル紹介をした写真です。

 さてその企画展の期間中、別件の取材で郷土館を訪れたあるお方が、このパネル写真を見て「ちょっと調べてみましょう」と興味を持って下さいました。ほどなくして、「おそらくここでしょう」とメールにて知らされたのは、ホリカップの先、ヘロカルウシ付近。今は泊原子力発電所の敷地内となっているところでした。
もし、場所が分かれば、同じ場所同じアングルで現在の写真を撮ってみたいですねえなどと考えていましたが、まず無理でしょうと思いきや……。

「内部に入ることができますよ!」

 ええええ! 

 一枚の古写真から、データを調べつくし場所を特定し、原発敷地内のその場所へ入る連絡や準備、すべての手筈を整えて下さったのは、小樽開発建設部の方々です! そして、内部でご案内をして下さいました北電の担当者のみなさま、お世話になりました。ありがとうございました〜。 

 というわけで、令和2年11月に開建の皆様、札幌のコンサル会社の皆様、そして郷土館とにしん御殿とまりのメンバーで実現した現地調査。この「チーム見返り岩」の調査報告として、北電さまより提供された写真をご紹介いたします。(外来者の内部撮影は禁止なので、同行の北電の方に撮影していただいたものです。あっちを撮ってくれこっちも撮ってくれと、かなり勝手を申しましてお手数をおかけしました笑)

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 上の写真の赤ヤジルシ部分の、拝んだような形の岩と、手前の草地の部分、海の向こうの山の位置などから見て、ここが昭和10年の古写真と同じ場所であると同行の全員が確信しました。

 さらに次の写真は、その同じ場所の波打ち際の様子です。

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 赤ヤジルシで示した画面右の海中に突き出た細い岩と、左側コンクリートを突き破るような大岩ですが、これは、郷土館の映像コーナーで見られる「昭和初期の岩内」の中、同じ見返り岩を写した映像の中にありました! 

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 この映像で裏付けが取れ、現在の写真の位置が「見返り岩」の場所であると確定しました。

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 隧道の手前、右の方にすっくと立つ細長い岩。これが見返り美人に見立てられて、「見返り岩」の名がついたというお話を、同行した鰊御殿とまりの本間館長から聞きました。その岩が現在は、原発の護岸コンクリートをものともせず、ガンと動かず在り続けているその姿に、感動するのは私だけでしょうか……。

あらためてご協力いただきました皆様、ありがとうございました!(R)



posted by 岩内町郷土館 at 2021年01月04日00:26 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと郷土館第四回企画展「復興の足跡と『飢餓海峡』」

岩内大火65周年記念企画展パートUです!

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(岩内大火後、次々と再起する商店のチラシ。現在も元気に営業している老舗も)

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(初代館長、佐藤弥十郎氏のスクラップブックにドッサリ残されてました)

今年の春のことでした。「岩内大火の65周年なので企画展はパートT、Uでやります」と聞かされ正直、そんなに資料あるのかしらと疑問でしたがそれははっきりと誤りだったと知りました。
1954年9月26日、洞爺丸遭難事故の同じ日に発生した岩内大火、そしてその大火の次の日から動き出した「復興の足跡」、郷土館には有り余るほどの資料が残されておりました。

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(テーブルいっぱいに広げました!)

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(大火前の町の地図と、都市計画で出来上がった町の地図を重ねて展示してます。道路幅の違いや、旧市街の密集度などさまざまな発見があります)

焦土と化した町を、近代的都市に再生した、しかも2年という短期間で成し遂げた原動力は何か。ぜひご覧頂きたいと思います!

posted by 岩内町郷土館 at 2019年10月08日23:13 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと9月26日大火の日 殉難者追悼式開催

 岩内大火65周年のこの日、郷土館では大火の慰霊追悼式が開催されました。犠牲になられた35名の町民に追悼の意を捧げ、さらにこの大火からの復興に尽力し、今日の町の基礎を築いた多くの方々への感謝を捧げる会。約30名の方が参加して下さいました。

 後日、当館カウンターにある、ご来館者の感想ノートに参加者の書き込みが残されていました。

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「母がこちら(岩内)の出身でした。亡くなり20年たちこのような記事にあい、気持ちを整理ができそうです、大火を機に母の親は没落したそうです。感慨深いものがありました」

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 献花のあと、参加者全員で当時の様子を語るフリートークの場となりました。

 明治以来の繁栄が一夜にして燃え尽きてしまった岩内。
 亡くなった方も残された方も、大火に遭った人々はそれぞれの運命を精一杯生き続けて今日に至った。改めてそれを知る日となりました。皆さんありがとうございました。
 大火の慰霊祭は、50周年を一区切りとして町内では開催されていませんでした。15年ぶりです。慰霊や追悼の機会は、亡くなった方のためだけではなく、生きている人々のためにも大切なことだと思います。そして、次の世代にも語り継いでいかなくてはなりません。

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 大火65周年記念企画展パートT「新聞記事に見る岩内大火と洞爺丸遭難事故」は、9月29日(日)までの開催です。そして10月5日(土)からは、大火65周年記念企画展パートU「復興の足跡と『飢餓海峡』」が始まります! いよいよここから岩内は復興に立ち上がるのです!

posted by 岩内町郷土館 at 2019年09月27日11:33 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと第三回企画展 岩内大火65周年記念企画展開催

今年は昭和29年年9月26日の岩内大火から65周年。郷土館の第三回企画展は「新聞報道に見る岩内大火と洞爺丸遭難事故」というテーマで、当時の新聞雑誌報道など、大火のさまざまな資料を展示しています。

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さらに今回は、岩内消防署に保管されていた、大火当時の状況を伝える貴重な資料もお借りすることが出来ました。

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岩内町の長い歴史の中で、重要な転換点となった「岩内大火」を、65年目となったこの令和の時代にあらためて見つめなおし、未来に伝える企画展です。
皆様のお越しをお待ちしております。

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posted by 岩内町郷土館 at 2019年08月15日20:51 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと第二回企画展「にしん場展」です!

6月8日(土)〜8月4日(日)の期間は、第二回企画展「にしん場展」。明治〜昭和初期にかけてのニシン漁業黄金時代の岩内をたどる企画展です。

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 北海道のニシン漁は、実は食用のみならず、肥料としてのニシン粕製造の需要がとても大きかったのです。数千トンもの漁獲のあったニシンを肥料に加工し、道内のみならず北陸上越、東京大阪まで輸出、当時の日本農業を下支えしていたとも言えるのです。

 当時の岩内のにしん場が、どのような様子であったのか。さまざまな資料をもとに展示しています。

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実際にモッコ背負い体験も、ご自由にどうぞ! どんざも試着可能です。

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明治35年の「岩内郡漁場実測図」。現在の航空写真と合わせ、どこに定置網があったか知ることができます。

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ご来館お待ちしております!

posted by 岩内町郷土館 at 2019年06月16日01:18 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと五月五日、端午の節句の大幟

 五月五日は、こどもの日。端午の節句のお祝いに、武者飾りや鯉のぼりを出しているお家もたくさんあるようですが、郷土館お宝・珍品展でお披露目しましたのは、昭和初期に使われていた大幟。約10mもの長さです。
 一般的には、「鯉の滝登り」や「加藤清正」「弁慶義経」などの鎧兜の武者絵が多いのですが、ここに描かれている「日清日露」という軍人絵の図柄は、戦時中にしか作成されていません。他に「肉弾三銃士」という図柄もあったそうです。

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 日清日露の勝利の歴史が、いかに国民の心に浸透していたか。
 そして昭和の戦争を経て、平成、令和と、この平和な時代を改めて実感させられる展示です。


 

posted by 岩内町郷土館 at 2019年05月01日10:21 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと郷土館 お宝・珍品展 開催中です!

 4月16日(火)〜6月2日(日)の期間は、第一回企画展「郷土館お宝・珍品展」です。今回は昭和初期に子供達の地域学習のために、町の教育研究所が刊行した「岩内地理読本」を中心に、岩内の歴史を紹介しています。
 なお、ゴールデンウィーク中は5月6日(月・祝)まで開館しております。連休はぜひ郷土館へ足を運んで下さいね!(5月7日・8日が振替休館日となります)

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posted by 岩内町郷土館 at 2019年04月26日15:38 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと平成31年度〜令和元年度の岩内町郷土館オープンです!

4月9日(火)午前9時〜今年度の岩内町郷土館が開館いたします。
今年もたくさんのご来館をお待ちしております。

なお2日(火)〜5日(金)は午前9時〜12時、準備期間として半日開館。
6日(土)〜8日(月)は休館日となります。

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本年度もよろしくお願いいたします!

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雪がまだ!

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海は穏やか。風はまだまだ冷たいですー。

posted by 岩内町郷土館 at 2019年04月03日10:45 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと和の楽器、お琴の寄贈がありました!

小樽市の桑原様より、お琴を寄贈していただきました。

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札幌の楽器博物館長、井筒先生に調律もしていただき、郷土館のさわれる楽器が新たに仲間入りです。
子供さんから大人、もちろん箏曲の弾き手の方もぜひぜひ弾きに来て下さいね!
来年は演奏会も企画しなくては!

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ちなみに、このお琴を娘時代から大切に大切にしてきた寄贈者の桑原さんは、お琴のカバーも自らのお手で作られています。
この琴カバーの刺繍もまたすばらしい芸術品です。
こちらも工夫して展示品に加えたいと考えております。ぜひご覧くださいね。

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posted by 岩内町郷土館 at 2018年10月31日11:11 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと中国とベトナムより、学生さんが見学に来ましたよー。

(お二方とも、日本語がお上手でちょっと安心(;^ω^)

 日本の文化と岩内の歴史を、ゆっくり見学されていきました。札幌、小樽とはまた違った岩内の魅力を、楽しんで頂き、町の名前が学生さん達の思い出に残ると嬉しいですね!

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(百年以上昔のお雛様飾り)

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(館長の詳しい解説がありました)
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(日本で一番古いリードオルガンは、やはり弾き方が難しい!)

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(アイヌ民俗衣装にふれる)

今月より、展示の要所には簡単な英語表記をつけました。
外国の方もお待ちしております〜♪
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posted by 岩内町郷土館 at 2018年08月31日11:42 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと平成29年度郷土館は冬季休館になります

12月1日〜平成30年4月2日まで、岩内町郷土館は冬季休館となります。

本年度もたくさんのご来館者がありました。皆様本当にありがとうございました!
来年度は4月3日(火)午前9時〜開館となります。
平成30年は北海道150年、記念の年。
岩内町郷土館でも関連企画をたくさん準備して
みなさまのお越しをお待ちしております。
来年度もどうぞ宜しくお願いいたします。

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(今年は早い冬の到来。時化てますよ〜)

posted by 岩内町郷土館 at 2017年11月30日12:00 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごとにしん漁の遺産、郷土館保津船もそろそろ冬支度

 郷土館の本年度の営業も(ぱとりあ岩内はNPOなので非営利なんですが)残すところあと二週間あまり。12月より翌年3月までは冬季休館となります。
 冬にむけて、屋外展示の保津船は冬囲いされることになります。雪は少ないのですが、並ならぬ強風の吹きすさぶ冬の岩内。がっちり固定して備えます!

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 ところで、去る11月2日、町内の寺院、光照寺さんより寄贈品がありました。ご覧の通りの大きな大きな米樽! お寺に奉納された新米を入れるのに使用していたのだそうです。

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 お風呂になりそうです(笑)。

posted by 岩内町郷土館 at 2017年11月15日10:30 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと100年オルガン、しっかりメンテナンス

 郷土館の国産最古のリードオルガンは、今年も調律師の井筒先生にお越しいただき、しっかりメンテナンスをしていただきました。柔らかな音色、いつでも自由にご来館の皆さんに楽しんでいただけます。

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 明治38年製(1905)横浜西川リードオルガン。そもそもなぜ岩内にと思われる方がまだまだ多いかと思われますが、当時ニシンの黄金時代だった北海道岩内。西洋文化の花開く豊かな港町だった様子がうかがえます。

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 このオルガンの価値を見出したのが、他ならぬ調律師の井筒先生でありました。
 当時郷土館に収蔵されていた古いリードオルガンは、壊れて白布をかけられていたそうです。井筒先生は平成12年4月から、半年あまりの時間をかけて修復されました。

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 修復の過程で見つかった製造番号から、それまで最も古いとされていた横浜開港資料館収蔵のオルガンの、4年前に作られたということがわかります。国産最古のリードオルガンとして、たくさんの町の人々の協力も得ながら、眠ったまま90年以上過ごしてきたリードオルガンは岩内町の大切な宝となりました。

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 今年で112歳を迎えた郷土館のリードオルガン、ぜひみなさん弾きに来てくださいね!(r)


posted by 岩内町郷土館 at 2017年11月07日16:48 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと茅沼炭鉱の草創期を造った、薩摩人伊地知季雅

 今回の企画展「進取の気質を育てた茅沼炭鉱」は、そろそろ終了となりますが、この時期になって明治の炭鉱の大功労者、伊地知季雅の東山墓地内にある墓碑をようやく発見いたしました!

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 伊地知季雅(いじちすえまさ)氏は鹿児島県士族。炭鉱業の経験者として九州から北海道へ、茅沼炭鉱に出仕したのは明治五年のことでした。

 北海道初の茅沼炭鉱、開拓使は明治以前より発見され、何度か断念された炭鉱業を今度は成功させようと多大な期待を寄せます。伊地知氏はそれにこたえ見事に事業を成功させ、炭鉱経営を再興させました。しかしその激務がもととなり、明治11年四十三歳で急逝します。

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 明治13年に建立された墓碑は、身内の少ない北の地でやがて訪れる人も無くなっていき、倒れて草むしていましたが、昭和6年郷土研究家佐藤弥十郎氏が偶然発見、これを新たに建て直し後世に伝えられるといういきさつが、佐藤氏の著書『余滴』に書かれています。

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(裏に刻まれていた碑文はもうほとんど見えません)

 展示日数はわずかですが、館に収蔵されているこの墓碑の拓本をこのたび展示します。9月最後の連休、興味のある方、ぜひお越しください!


posted by 岩内町郷土館 at 2017年09月22日21:24 | Comment(1) | TrackBack(0)

できごと今年の岩内神社祭

日本海沿岸、岩内町の神社祭が今年も無事やってきました!

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三日間の日程のうち、必ず一回は雨に見舞われるだろうというジンクスが、今回は持ちこたえましたー。暑い太陽の下、皆様本当にお疲れ様でした。
毎年同じことが繰り返される…これほど泰平なことはありません。そして200年の歴史が一つまた、次世代へ。

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岩内町郷土館も、まちの思いの詰まった一つの箱です。最期の神社までの行列のスタートとしてふさわしい位置にあるということなのでしょうか。感慨深くお迎えし、見送りました。ありがとうございました!

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来年もまた、同じく繰り返されることを祈りつつ。

posted by 岩内町郷土館 at 2017年07月13日00:40 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと岩内町でカワラは作られていたのでしょうか??

 過日、NPOれきけん(歴史的地域遺産研究機構)の先生がご来館しました。岩内町にて明治期にレンガや瓦屋根が多く作られていたのではないか? ということで資料調査とのこと。お話を伺ったところ、北海道庁の資料では、明治30年に岩内郡で生産されたカワラの個数は29万個余り。北海道内の他の地域に比すると突出した数字です。さて岩内町には本格的な「カワラ職人」さんがいたのでしょうか??

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(郷土館収蔵室にある立派な鬼瓦)

 それについて、明確な資料が実はありません。が、岩内にはレンガ工場が明治24年にできている記録があり、レンガの工場でカワラも生産されていた例が数多くあるとのこと。さらに郷土館資料の中には、本州からの移入品なのか、現地岩内生産なのか不明な鬼瓦(それも本格的な彫刻の施された!)がいくつか収蔵されています。

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(明治34年の資料に残る「大宮煉瓦工場」この老込美の所在地は、現在の岩内神社付近と推定されます)

 北海道の冬越しを思えば、カワラの普及は少ない方だろうとも思いますが、郷土館坂井館長の子供の頃の記憶では「自宅も瓦屋根だったし、通りの多くの建物が瓦屋根であった」とのこと。トタン屋根は当時ではハイカラだったそうです。

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(戦時中は、岩内厚生園の向かいにあったレンガ工場で、建材のほか土管なども作っていたそうです)

 そんな町並みが、昭和29年の岩内大火ですべて焼き尽くされてしまったのでした。町内御崎付近には、その時に焼け残ったカワラ屋根の建物が数軒残っていますが、保存の手だても無いものは今にも消えようとしています。

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(郷土館の向かいにあるカワラ屋根の建物。大火を免れました)

 清住に現存する「簗瀬邸」は立派な瓦屋根が保たれています。その偉容を、なるべくなら後世に残していただきたいものです。(R)

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(平成28年の簗瀬邸)

posted by 岩内町郷土館 at 2017年06月25日11:57 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと5月、郷土館で見つけたもの。こんなところにー!

 寒い日が続きますね〜と思っていたら今日、ホップのツルがにょきにょき伸びているのを発見。年々大きくなっているように感じます。

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 発見といえば、今回の企画展は「郷土館お宝・珍品展」。ポスターのうたいには「おもしろ発見!郷土館」ということで、ちょっと展示物の中より面白い発見をば。

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 企画展示の中に大きな木皿、ご覧になりましたか。継ぎ目なく一本の大きな木株より削られたものです。むかしの人の手作業は本当に素晴らしいですね。
 その表面に「やまき」という屋号が刻まれているのを発見。この屋号は明治期岩内のにしん漁大親方、濱喜三郎のものです。人呼んで「やまきの殿様」大変豪華な暮らしをしていたがにしん不漁とともにあっさり没落という天国と地獄の典型を、屋号とともに町史に刻んでおります。

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 第二展示室のガラスケース。床掃除途中ふと見れば、こんなところに「(屋号いりかせ)工藤守 寄贈」とかいてあります。
 いりかせはかつてあった「料亭うきよ」。現在のうきよ通りの名はここからはじまります。料亭、ホテル業、岩内の繁華街では古くから歴史のあった屋号です。おそらくは郷土館が昭和46年に開館の時、寄贈されたものです。
 中身もさることながら、ガラスケースも年代もの(笑)。
 そして、この郷土館には開館から現在にいたるまで、たくさんの一般町民の方の思い入れとご協力があったのだと感じます。


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 本日また新たに寄贈品がありました。
 島野の漁師の大親方、小塚漁場で使われていた立派な御膳です。

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 ありがとうございました。


posted by 岩内町郷土館 at 2017年05月17日16:49 | Comment(1)