岩内町郷土館ブログ

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お知らせ河東碧悟桐と岩内

自由律俳句で知られる河東碧悟桐は正岡子規の高弟ですが、彼の北海道での句作同人3人は全て岩内の人間です。その中心人物が戦前の北海道の俳壇の指導的役割をはたした泉天郎です。
今回の企画展では、碧悟桐と天郎の関係資料も展示してあります。
一つ不思議なことがあります。「明治44年9月17日、子規庵庭前にて 子規母堂を囲んで」という注釈つきの写真があります。総勢79名の集まりです。子規母堂の傍には内藤鳴雪、碧悟桐が座っており、天郎も前列に座って映っているのですが、肝心な高浜虚子がいません。なぜ、この席にいないのか不思議に思っています。なお、萩原井泉水も映っています。

posted by 岩内町郷土館 at 2012年04月27日10:11 | Comment(2)

この記事へのコメント

コメント欄で失礼します。「海紅」編集委員の日野百草と申します。現在、ちょうど碧梧桐句集の編集をしておりますので一助になればと思い書き込みさせていただきます。
不思議に思われてる点ですが、碧梧桐は全国遊行記「三千里」に続く「続・三千里」に記された通り、明治43年に松山を訪ねております。この碧梧桐の集まりは井泉水も同行しておりますが(帰郷後、層雲を立ち上げます)、泉天郎も含め、これは新傾向俳句の集まりでして、子規伝統を守りホトトギスを引き継いだ虚子は当然おりません。もっとも虚子はこのころ俳句はやめてもっぱら小説を書いており、俳壇復帰は明治45年のホトトギス誌上の雑詠欄における再開予告を待たねばならないのですが。お写真には明治44年とあるようですが、海紅の資料におきましても「伊吹嶺」の栗田靖先生の岩波文庫『碧梧桐俳句集』におきましても明治43年7月に松山入り、9月上旬まで滞在していたようですので、その辺の食い違いはわかりません。明治43年9月16日に宇和島行とありますので旅立つ前に写真を撮ったのかもしれません(若干日にちが前後しますが)。ともあれ何か一助になれば幸です。

Posted by 日野百草 at 2015年05月12日 18:48

コメントありがとうございます!

 岩内町は、道内でも古い時代からの歴史文化がありますが、とくに俳句は江戸時代からの記録があります。

 どちらの地域の方かわかりませんが、機会があれば是非、岩内にもお立ち寄りくださいね!

Posted by 岩内町郷土館(担)枝元 at 2015年05月14日 16:50

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