岩内町郷土館ブログ
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できごと | 第一回歴史講座「1922有島武郎の岩内講演」
去る4月24日、郷土館にて歴史講座を開催しました。テーマは「1922年有島武郎の岩内講演」。有島の、生涯の最初にして最後の岩内訪問についてお話をしました。
(安達牧場の有島武郎(左)と木田金次郎)
(岩内白水会。前列右が29歳の木田金次郎)
1922(大正11)年、今から100年前の7月、有島武郎は木田金次郎をはじめとする白水会の要請で、岩内を訪れ講演をしました。その詳しい様子が記録された『白水会記録會計』と、昭和3年に雑誌「婦人倶楽部」に掲載された『有島武郎の日記』をもとに、有島が岩内のどこに滞在し、何を食べどんなことを思ったのか。その様子を時を追って調べてみました。
まず、狩太の駅から小沢で乗り換え、岩内の駅に降りた有島武郎は、御鉾内町(現在のドーム公園付近)の藤田旅館に入ります。
(当時の藤田旅館。右は昭和5年岩内地図の拡大部分)
(昭和5年岩内地図。関連するところに〇がついています)
その後、岩内町役場議事堂へ向かい、およそ一時間半の講演を行います。演題は「惜しみなく愛は奪ふ」。会場は400名もの聴衆が詰めかけ、さらに講演のあと宿に戻ってからも、有志の青年たちと深夜まで対話をしています。「実に彼らの熱心な事には驚くほかなかった」と有島は回想します。
中央から遠く離れた北海道の西端の漁業の町で、これほど多くの人々が熱心に有島の話に触れたということ。岩内は「進取の気質」の町であるということがよくわかります。
(明治36年に竣工した岩内町役場。議事堂はこの中にあったと思われる)
(岩内女子小学校)
次の朝、村上別荘を訪れたのち、有島は女子小学校で男子小学校からも来た生徒約600人を前に講演します。演題は「一人の為めに」。有島は講演中「涙が出て仕方なかった」と語ります。子供たちの純粋な命に対し、真剣に語りかけた有島の姿が浮かびます。有島の文章は当時、小学校の教科書にも採用されていました。
当時の岩内の子供たちは、どんな思いで作家の言葉を受け止めたでしょうか。
その後、有島は木田金次郎の家を訪れて、昼食を振舞われます。
金次郎の父、木田久蔵は当時健在で、所有している漁場がその後漁港工事の影響で失われてしまうのですが、いまだ現役であった漁業家木田家を訪れています。
(昭和5年岩内地図の木田久蔵の家。現在の大和埠頭付近)
(安達牧場。笑顔の有島武郎)
その午後、有島は三十人ほどの青年たちとともに、安達牧場へ散策します。牧場では夏の爽やかな風が吹き、新鮮な牛乳、菓子などが出され、有島は心のままにホイットマンの詩を朗読します。「時間の短いのが惜しまれた」と回想します。
これがちょうど100年前の、有島武郎の岩内訪問でした。
一年後、悲しい心中事件が起こる事など誰も想像し得なかったほど、平穏な幸福な訪問でした。そしてこの訪問と出会いが「白水会」という青年グループを生み出し、大正デモクラシーの時代の岩内において、人々の人生に大きな波紋を生み出していくのでした。
posted by 岩内町郷土館 at 2022年04月27日12:41 | Comment(0) | TrackBack(0)
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