岩内町郷土館ブログ
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できごと | 高橋信夫飛行士の胸像の由来が明らかに!
2階展示室にある「高橋信夫飛行士の胸像」。長らくその由来を知る人はいなかったのですが、意外にもその由来が千葉県千葉市の千葉寺(せんようじ)にあるということが新たにわかりました!
(開催中の企画展で詳しく紹介しています)
この胸像の台座が、千葉寺の境内に残されているというのです。
高橋信夫飛行士は、大正時代、日本で初めて創られた千葉県の稲毛海岸「白戸飛行場」の飛行士でした。我が国の航空史の先駆者、白戸栄之助の愛弟子でもありました。
(千葉寺境内に残る胸像の台座 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲掲載)
大正12年、訓練中の事故で高橋飛行士は亡くなってしまいます。師の白戸栄之助はその死をたいへんいたみ、同じ年に亡くなった、やはり愛弟子であった嶋田武男飛行士との、二人の胸像を制作し、千葉寺に追悼の碑を建てました。
ところが、戦時中の金属供出でその銅像は失われてしまいます。郷土館に保存されているのはその像の「石膏型」なのです。作者は彫刻家田島亀彦、大正13年制作です。(千葉市教育委員会発行「千葉いまむかし」より)
さかのぼる大正8年、高橋飛行士はこの岩内町に来て飛行機を飛ばしました。どのような経緯でこの航空披露が開催されたのかは不明ですが、集まった大観衆は初めて見る飛行機に大興奮であったと記録にあります。
高橋信夫は、明治期に岩内町で私学校を創設するなど、岩内の教育行政に大きな偉業を残された高橋常四郎の孫にあたります。父萬吾は、神恵内方面で漁師の親方であったそうです。信夫自身は岩内出身ではなく準岩内出身といったところ。しかしながらお祖父様のご縁で岩内の空を凱旋飛行されました。
(大正8年6月15日。岩内上空飛行)
(町内大和公園にある、高橋常四郎の石碑)
この時代の地方都市で飛行機の発着飛行は実に珍しく、昭和の偉大な郷土史家佐藤弥十郎氏の言を借りていえば
「岩内というところはこわいところだ」(笑)
今の町民センター、旧中央小グランドの高台を発着、老古美、前田の上空を飛んだということです。
(稲毛民間航空記念館には、高橋信夫飛行士の奉納したプロペラなど、ゆかりの資料があるそうです)
なお、このたび千葉市で発行された「千葉いまむかし」という冊子にて、白戸飛行場と高橋信夫飛行士の資料が詳しく紹介され、郷土館にある胸像についても紹介されました。
さらに千葉寺の台座の写真等は「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」さんにもご協力をいただきました。
ありがとうございます!
posted by 岩内町郷土館 at 2017年04月27日23:37 | Comment(0) | TrackBack(0)
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