岩内町郷土館ブログ
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ひとりごと | 岩内古宇と樺太展〜外地よりの復員者に手厚く
岩内町郷土館開館50周年記念「岩内古宇と樺太展」は11月23日(火)まで。いよいよあと一ヵ月弱となりました。多くの方のご来館を頂いております。とくに横綱大鵬の写真のところでは「おお! ナゼ岩内に?」と不思議がる声が聞こえてきます! 大鵬と岩内のご縁、答えを知りたい方はぜひ郷土館へ!
さて、写真は初代郷土館館長、佐藤彌十郎氏の残した戦後資料「未復員者名簿(岩内町復員促進同盟会)」です。昭和20年8月15日の終戦当時、多くの日本兵が樺太に限らず北方四島や、満州、南洋などに出ており、多くは捕虜となったり、抑留され強制労働にと、敗戦国兵士の多くは大変辛く厳しい状況にありました。
そのような中、岩内の人々はどうしていたか。
表紙左端に書き込みがあります。「21.8.1 未復員者総員 386名 / 22.7.31調 生還76 戦死72 / 現在 238」
一番上の項は、町内会の番号。次に出征軍人の「留守担当者(妻や両親など)」の名前があり、出征者本人の名前が書かれています。赤線で消されているのは、外地から無事帰還したか、もしくは戦死。消されていない名前は、この時点で安否を確認出来ない方々ということです。
このように岩内では、戦地からの兵の帰還状況を詳細に記録していました。
(左:「うれしい通報ー岩内町復員促進同盟会」 右:『昭和24年岩内要覧』より)
「うれしい通報 ソ連領内の引揚げ十月から開始か−マックアーサー司令部は九月二十六日午後次の声明を発表した。
ソ連領内にある俘虜ならびに一般市民の引揚げに関しテレビヤンコ中将から『ソ連政府は同中将が米軍司令部との交渉を行うことを承認した』」
「目下計画されている交渉は、ソ連本国、樺太千島列島を含むソ連領にいる全日本人俘虜の引揚げ並びに一般日本人を日本へ返すことに及ぶものである」
これを書いた岩内町復員促進同盟会の会長は、戦時中において「在郷軍人会」の会長であった佐藤彌十郎氏です。佐藤彌十郎氏はこの後公職追放となり、数年間失意の歳月を送ることになるのです。
岩内町内では、同盟会や有志からの寄付金が集まり、帰還者へ一時金が渡され、各地区には引揚者住宅が急遽建設されました。引揚者は授産施設で仕事も出来るようになり、引揚者が商売を始める「マーケット」も作られ、引揚げ後の暮らしを安定させるための様々な取り組みがなされました。
さて、戦中、岩内では外地へ出征している岩内兵へ届けるための、町の情報誌「郷土たより」を作成、発行していました。その中の記事から、興味深いものを発見!
「完成目指して 岩中敷地の整地奉仕」
昭和17年、岩内中学校(現岩内高校の前身)の設立が決定され、宮園の建設予定地の傾斜地を、平らにならす土木作業です。各町内会の人々の奉仕があり、当時の男子学生達も駆り出されました。
作業の様子を写した写真もありました! ここが、今の岩内高校ですよー!
posted by 岩内町郷土館 at 2021年10月31日16:42 | Comment(0) | TrackBack(0)