岩内町郷土館ブログ
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ひとりごと | 眠っている観光資源を掘り起こし利用しよう−2014年の坂井館長のコラムより
眠っている観光資源を掘り起こし利用しよう
岩内町郷土館館長 坂井 弘治
築100年以上過ぎた「簗瀬家」の玄関の上に旧会津藩主松平容保(かたもり)公の日光東照宮宮司時代の扁額がかかっている。持ち主であった故簗瀬辰之助氏は「東照宮修築のため多額の寄付をしたのでそのお礼。」と話していた。また、簗瀬家には容保と息子の松平容大(かたはる)からの手紙も掛け軸にされて残っている。内容は、容保の手紙は礼状だということが分かったが、息子の容大のもそうではないかと思われていたのだが、なにしろ難しくて判読できないでいた。
それが最近になってようやく内容が判明した。そこで判明した新事実は、容大の手紙では明治29年3月に岩内にやってきて、岩内在住の旧会津藩関係者一同から饗応を受けている、ということと、何(多分、生活資金)かを頼み込んで帰っていったことである。また、容保の手紙では、「保晃会(日光東照宮を守る会)会長である自分は職務多忙なので、副会長を派遣」とあり、代理に副会長が来訪したことが分かった。この副会長は、安生順四郎と言い保晃会の生みの親であり、栃木県県議会議長、栃木県で最初の牧畜経営者であった。と、ここまではなかなか立派な人物に見える。しかし、おっとどっこい、足尾鉱毒事件では金にまつわる数々の不正疑惑の絶えなかった人物として登場してくる。
なにはともあれ、当時の栃木県の重要人物と、旧斗南藩主が旧会津藩士を頼って岩内にやってきたことは非常に興味深い。確かに日本全国に散らばっていた彼らの中で岩内在住者は、簗瀬を筆頭にそれなりの経済力があったと思われ、それがこの二つ手紙と扁額からも伺われる。
さて、簗瀬家には宝物がまだある。勿論、和洋折衷の建造物簗瀬邸もそうだが、庭もなかなかなものである。
岩内には明治時代からの庭園が三園あるが、その中で規模は小さいが一番手入れがなされている。残り二つは井筒さんが所有している「含翆園(近別荘)」と成川さんの庭園である。この二つは歩いて1分足らずのところある。広大な敷地に数多くの由緒ある碑や石塔が立ち並び、江戸時代の狛犬が鎮座し、桜の名所でもある岩内神社からでも5分もかからない。先ほどの簗瀬邸からでも10分。東京以北最大の大仏がある帰厚院からも10分。その目と鼻の先にある全修寺には岩内の最初の道議会議員本間玄契が送った安珍清姫の屏風がある。本館にも総刺繍の屏風があるがそれに勝るとも劣らない立派なものである。
ここまで書けばお分かりであろう。歩いて10分程度のところに立派な観光資源が8つもあるのだ。これは歴史の浅い北海道では稀有なことだと思っていい。これを有効に利用しない手はない。また、少し町に下がれば木田金次郎美術館がある。左に行けば、日本最初の築港記念碑を横目で見ながらその最初の工事現場を通り、江戸時代からの曲がりくねった道路を歩いて国道に出れば郷土館だ。
美術館を右に行き、茅沼炭鉱線の線路跡の道路をたどって歩き、途中のどこかの角を左折すると深層水センターが見えて来る。こちらの方は20分程度かかるが、最近健康志向ブームでウオーキングツアーがはやっているので、この「歩き」も売りになる。
「歩き」と言えば円山観音山までのコースも売りになる。私は旅行が好きなのであちこちに行くが、最近目につくようになったのは、ノルデックウオーキング専用ポールを持って観光地を巡っている一団がいることだ。円山まで歩いて4キロ1時間、専用ポールをついてのウオーキングにはもってこいだ。途中に円山ヒーリンファームとホーストラスト北海道がある。駝鳥や馬と遊んで円山頂上の見晴台で疲れを癒すのもどうだろうか。
町の背景にある小高い山地には温泉があり、いにしえの昔、大陸から渡って来た古代人が書いたと言われている文字(文様)が残っている円山、その裾にある荒井記念美術館。キャンプ場からみる絶景の岩内市街と岩内湾等など。みるべきものは山にもある。
他の町では車で20分も走らないと、次の観光スポットに行けないが、岩内は違う。市街地の場合は、あっという間に次の観光スポットに行ける。郊外も歩いても健康的にはちょうどよい距離に目的地はある。観光地としての岩内の最大の強みは、面積が狭い、ということだ。合併前の岩内は面積わずかに4平方キロメートル。半日時間をとれば、バスに乗り降りすることなく、江戸時代からの道路から始まって、がごめ昆布の深層水センターまでの間にある数々のスポットを巡って十分に行くことができるのだ。
郷土館ではこれを想定して数年前に「歴史散歩ガイドマップ」を作ってみた。今年も改良を加えて、観光シーズンに間に合うように発行する予定である。問題はそれ以後である。これをどう活用するかは観光協会を中心にした関係機関で「活性委員会」のようなものを立ち上げ、そこがやるべきだと思っている。観光で飯が食える街づくりを目指して動くのはいつだ。今でしょう!
posted by 岩内町郷土館 at 2021年02月01日20:37 | Comment(0) | TrackBack(0)