岩内町郷土館ブログ
岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
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ひとりごと | 2005年の坂井館長の原稿より
本日、令和3年1月9日付の北海道新聞紙上で、坂井弘治郷土館館長の叙勲の記事を見つけました。
坂井館長は黒松内中学校の校長をつとめ、退職されました。その後郷土館館長に就かれて長く館の運営をされてきたのですが、やはり根っからの「先生」だった方でした。
昨年、膨大な文書の入ったデータUSBを預かり、少しづつ解凍をしながら来年度への下ごしらえをしているのですが、中にはさまざまな媒体に寄稿した原稿もあります。なかなか面白く読み応えがあります。
2005年に坂井館長の書かれたものを紹介したいと思います。
郷土館館長奮戦記−身から出た錆−
坂井 弘治
「なあに先生、館長室に座ってればいいんだから。」「非常勤ですから。」
「来館者数にはこだわらんで下さい。」ってなこといわれてその気になって〜
館長になったら大違い〜
と,誰かの歌ではないがなってみて驚いた。日々目の回るような忙しさで、
昨年の4月は、初出勤以来2週間以上休館日も含めて連日出勤した。その忙しさは今も続いている。
やらなければやらなくてもいいのだが、性分としてはそうはいかない。ついついあれやこれやとやり始めるのだから、忙しくなるのは当たり前で、女房などは身から出た錆と同情してくれない。多忙の原因の一つが今年から始めた年4回の企画展である。この10月の中旬からは、最後の企画展「岩内古地図展」が11月末まで開催される。岩内は歴史が古く裕福であったため、明治の初めから各種市街地図や港湾地図が出版され、それを展示するという企画だ。
この地図の中に非常に面白いというか貴重なものとして「昭和13年第7師団町内宿泊図」という地図がある。これは、この年行われた秋季演習終了後実際に兵隊が泊った家とその人数が掲載されたものだ。(明治時代から羊蹄山麓での演習の後、それまで露営で過ごしてきた兵隊が民家で布団の中で休むのは岩内と決まっていた。第7師団の兵隊全員を収容できる町は、岩内しかなかったためである。彼等は、岩内で2日間ゆっくり休養した。当然ロマンスも生まれた。)地図上には赤鉛筆で、いろんな書き込みがあり、当時実際に使われたものであることが分かる。
また、この時、町外れで観兵式を行っているが、一番良い席は当然来賓席だが、次に良い席がなんと岩内高等女学校に与えられている。この事実をどう考えるか。あれこれと面白い想像が沸く。
多忙の原因の二つ目は、来館者への説明である。私は、団体は勿論だが、個人であっても来館者に打診して、承諾を貰えば案内をすることにしている。そうすることで、私自身の勉強にもなるしお客さんの生の反応を知ることができ、それを館の経営に役立てることができるからだ。
このお客さんとのやり取りで異口同音に出てくる言葉に、「岩内の文化って凄いですね。」「こんなところ(こんな片田舎という意味)にこれほどの文化や歴史があったなんて・・・。」(これは本州のお客さんに多い。)「館内がきれいで良く整理されてますね。」「展示物が豊富ですね。」「うちの町に(関係者に)見せたい。」というお褒め言葉が圧倒的に多い。このような言葉に励まされてやる気がますます生まれる、というわけで、まさに教育は教え育てるでなく、おだて育てるだな、と改めて思っている。
岩内町郷土館は冬季休館中です。この連日の大雪で埋まりそうですが…いつも除雪に入って下さる業者の皆様、お世話になります!ありがとうございます!
写真は、昨年坂井館長が引退の時、記念にしていただきたくプレゼントした似顔絵です。かわいい(笑)。旭川在住のイラストレーター、小川けんいちさんが描いて下さったものです。
(r)
posted by 岩内町郷土館 at 2021年01月09日15:32 | Comment(0) | TrackBack(0)
できごと | 泊村ヘロカルウシの「見返り岩」探索
2021年が始まりました。本年も岩内町郷土館をどうぞよろしくお願いいたします!
さてこの一枚の古写真は「(岩内)古宇海岸見返り岩の奇勝」という説明付きの、昭和10年に発行された記念ハガキです。
これがいったいどこの場所か皆目見当もつきませんでしたが、こんな素晴らしい景色が、岩宇のどこかにかつてあったのか…と思っておりました。郷土館の昨年度第3回企画展「郷土館お宝・珍品展」にても、パネル紹介をした写真です。
さてその企画展の期間中、別件の取材で郷土館を訪れたあるお方が、このパネル写真を見て「ちょっと調べてみましょう」と興味を持って下さいました。ほどなくして、「おそらくここでしょう」とメールにて知らされたのは、ホリカップの先、ヘロカルウシ付近。今は泊原子力発電所の敷地内となっているところでした。
もし、場所が分かれば、同じ場所同じアングルで現在の写真を撮ってみたいですねえなどと考えていましたが、まず無理でしょうと思いきや……。
「内部に入ることができますよ!」
ええええ!
一枚の古写真から、データを調べつくし場所を特定し、原発敷地内のその場所へ入る連絡や準備、すべての手筈を整えて下さったのは、小樽開発建設部の方々です! そして、内部でご案内をして下さいました北電の担当者のみなさま、お世話になりました。ありがとうございました〜。
というわけで、令和2年11月に開建の皆様、札幌のコンサル会社の皆様、そして郷土館とにしん御殿とまりのメンバーで実現した現地調査。この「チーム見返り岩」の調査報告として、北電さまより提供された写真をご紹介いたします。(外来者の内部撮影は禁止なので、同行の北電の方に撮影していただいたものです。あっちを撮ってくれこっちも撮ってくれと、かなり勝手を申しましてお手数をおかけしました笑)
上の写真の赤ヤジルシ部分の、拝んだような形の岩と、手前の草地の部分、海の向こうの山の位置などから見て、ここが昭和10年の古写真と同じ場所であると同行の全員が確信しました。
さらに次の写真は、その同じ場所の波打ち際の様子です。
赤ヤジルシで示した画面右の海中に突き出た細い岩と、左側コンクリートを突き破るような大岩ですが、これは、郷土館の映像コーナーで見られる「昭和初期の岩内」の中、同じ見返り岩を写した映像の中にありました!
この映像で裏付けが取れ、現在の写真の位置が「見返り岩」の場所であると確定しました。
隧道の手前、右の方にすっくと立つ細長い岩。これが見返り美人に見立てられて、「見返り岩」の名がついたというお話を、同行した鰊御殿とまりの本間館長から聞きました。その岩が現在は、原発の護岸コンクリートをものともせず、ガンと動かず在り続けているその姿に、感動するのは私だけでしょうか……。
あらためてご協力いただきました皆様、ありがとうございました!(R)
posted by 岩内町郷土館 at 2021年01月04日00:26 | Comment(0) | TrackBack(0)