岩内町郷土館ブログ

岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
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できごと国鉄岩内線廃線のシンボル、製作者と再会!

「ずっと以前から、ここにあるとは聞いていたんですが、半信半疑で……」

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 本日来館された、札幌市の久保昇次さんは、元国鉄、倶知安機関庫の機関士で、昭和30年代末より倶知安−岩内間を何度も往復されていたそうです。
 岩内線が廃止の時、久保さんは仲間の森義光さん、渡部要さんと3人でこの「さよなら岩内線」を制作。その後は倶知安を離れましたが、このたび岩内に来る機会があり、感動の再会となりました。
 国鉄ファンの方や地元も、貴重な資料として大切にしていますとお伝えすると、とても喜んでおられました。

 郷土館にある、いつも目にする一つ一つの資料は、ただ「ここにある」というだけではない、久保さんのようなさまざまな「だれか」の手がかかり、思いがあると改めて気づきます。
 大変ありがたいお写真を、今日も一枚撮らせていただきました!(r)

 

posted by 岩内町郷土館 at 2016年08月24日16:22 | Comment(1)

ひとりごとルーツ(来し方)をさがしに

 お盆ですね〜。年に一度、ご先祖さまにご挨拶して、親兄弟親族が集まり…という日本ならではの夏。
 毎年この時期には、必ずお会いできるお客様があり嬉しい限りです。みなさまご実家のように、郷土館を訪れて下さいます。そして、いつもこの季節になると「我が家のご先祖を探しに」というお客様、大変多くなります。

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 明治の頃に発行された町の要覧、広告には屋号がついていて、この屋号が結構重要。ご先祖探しのカギともなります。

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 岩内は漁業の町ですが、実は大から小まで、商家のとても繁栄したところでもありました。小売、問屋、運送、職工、旅館に飲食、寄席劇場……。とにかくこんな小さなエリアに、ありとあらゆる商売があったのです。
 数十年間のブランクを経て、ご子孫が岩内の地を訪れ、郷土館で自分の身内と縁のある姓名を発見し「へええ」と驚きの声を上げるのを見ておりますと、これは本当に大切な出会いなのだなと感じることがあります。

 誰もが同じなのかはわかりませんが、人は成長してある年になると、自分の来し方「ルーツ」に出会いたくなるのではないか。と、感じます。どこかの町の、歴史につながっていると思う、知ることができるのは、実は生きていく上でとても重要なことなのではないかと思います。
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posted by 岩内町郷土館 at 2016年08月14日16:52 | Comment(0)

ひとりごと佐藤彌十郎氏の「身辺雑記」より

現在、郷土館で開催中の企画展「岩内と戦争パート2 『郷土たより』に見る戦時下の岩内」。戦地の郷土兵士に宛てて送られた、この「たより」を元に展示をしています。当時編集をしていたのは佐藤彌十郎氏、戦後の昭和46年には、岩内町郷土館を創設し、初代館長でもあった岩内町にとっては忘れられない偉人です。
 下は、当館に所蔵される「郷土たより」最後の号最終ページ、「身辺雑記」とのタイトルで、佐藤氏の書いた日記風の文章があります。昭和20年3月発行。

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「二月九日 札幌に出て東工教授富塚博士の飛行機に関する懇談会に出る。容易ならぬ戦局を今更ながら痛感させられる。科学に劣弱な日本人、根本は日本の教育(学校、家庭、社会等)の革新に俟たねばならぬが、さてそれがいまの間に合ふか」

 富塚博士は東京帝国大学教授、工学博士、航空機エンジンの研究者で国内ではその第一人者です。札幌で行われた懇談会で、佐藤氏は専門家の話の中から、敵国の巨大な科学力を知り得たのではないでしょうか。
「科学に劣弱な日本人」と佐藤氏はこの時、明らかに察しています。「間に合うのか?」という問い。国全体が向かっている敗戦の運命。運命に巻き込まれるであろう銃後の町の人々。
 一つの文章から、一人の人間の中に起こった目まぐるしい、深い葛藤を想像させられます。今現在を生きる者が開戦、敗戦というものを現実にあった歴史として捉える、それは一つのきっかけともなります。

 それにしても、佐藤氏はこの文章を戦地の軍人に宛てて書いたのでしょうが、銃後の岩内町民向けなのかも、あるいはひょっとして戦後70年、80年後の現在を生きる、私たちに伝えたかったのかもしれません。残された者たちよ、見て、考えろと。(r)

posted by 岩内町郷土館 at 2016年08月04日17:03 | Comment(0)