岩内町郷土館ブログ

岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
岩内町に関する情報や岩内町の様子などを発信しています。

お知らせ郷土館は、冬季休館に入りました。

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 11月27日をもって、本年度の郷土館は終了、冬季休館となります。今年もたくさんのご来館、ありがとうございました。平成29年度は4月より開館の予定です。なお、当ホームページ、ブログ、フェイスブックでは年中無休で情報発信していきますので、今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

posted by 岩内町郷土館 at 2016年11月28日11:36 | Comment(0)

ひとりごと郷土館の大きな油彩画の由来

「安政三年四月二十七日 松浦武四郎アイヌの人たちスイド、サケノカロ、和人庄内塩越村常吉、松前富次郎の四名を伴い磯谷より雷電難所を越えて岩内の地に立つ」……岩内出身、山崎正巳画伯の油彩画700号、畳五枚分の大きさです。

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 郷土館は昭和45年に完成、翌46年5月に開館しました。この二年前から町の文化財保護委員会の方では郷土館にふさわしい絵を、という計画が進められており、最終的には当時委員長だった佐藤彌十郎さんの意向から町の歴史にゆかりのあるものを、ということになり具体化したのが、江戸時代末期に町を訪れた松浦武四郎をモデルとして描くということになり、これを受けて教育委員会が昭和48年夏、山崎画伯に依頼したものです。武四郎の紀行文『西蝦夷日誌』を題材に制作がすすめられ、約一年半、ようやく出来上がった油彩画は横4.5メートル、縦1.9メートルでキャンバスサイズでは約700号の大作です。

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(雷電刀掛岩、港に入る弁財船など細かい描写も見どころです)

 雷電地区から岩内に足を踏み入れた武四郎と案内人従者たちが描かれており、朝日が市街を照らし全体に明るい色調の作品です。公開を前にして文化財保護委員の見守る中で郷土館(旧)の階段上部の壁に飾られたが全員満足そうに見守りました。又制作にあたった画伯も「ようやく肩の荷が降りた気持ちです」と話したそうです。

 そこでこの絵についての裏話をご紹介しましょう。

 まず最初は、この作品を描かれた頃は、アイヌの人たちの人権問題が大変きびしく取り上げられていた時でした。従ってこの作品の制作に当たってはアイヌの人たちの衣服履物等の時代考証に研究を重ねられ、手に持つ弓は武人としての権威、案内人としての立場など十分配慮して制作されたそうです。
 つぎは武四郎一行の立ち止まっている背景には枯葉のたくさんついている灌木があります。
 この木はカシワの木とかドングリの木とも言っていますが、この枯葉はなかなか風に強く落ちそうで落ちません。いつ見ても枯葉がついております。そして落ちたと気付いた時にはすでに若葉がついているといった具合です。そこでアイヌの人たちが和人から借金をする時は、決まって返済の期限を「あの木の葉の落ちるまで」と言ったのだそうです。
 十個の品物を数えるのに「始まり終わり」をつけいつも十二個を騙し取られる和人に対し、せめてものお返しとしてアイヌの人たちが知恵を使ったものなのでしょう。

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(郷土館友の会会報bQ1より抜粋編集して掲載しました・r)

posted by 岩内町郷土館 at 2016年11月17日16:17 | Comment(0)

ひとりごとニシン漁の道具はどうやって使われていたのか?

 最近、郷土館の展示物に追加となったこの長い、不思議なかたちの道具。「ござむしろを作るもの」という説明を受けましたが、はてさてどうやって使うのか……。ひょっとして農業地帯の共和の方に聞いたら詳しいのかもしれません。

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 実はこのようなケースは多いのです。保管資料をもっとよく整理していけばいいのかもしれませんが、冬季休館がさだめの郷土館。時間もなければ人手も足りず……。

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 このニシン粕製造過程で重要な圧搾機も、つい最近「この心棒がなきゃ分かりづらいよ」といって、持ってきて下さった、しかも実際子供の頃やらされた、という方が!「この棒をぐるぐると廻してニシンをつぶすのさ」なるほど! 写真も発見。まるでニシンの海の中に沈んでいくような作業の母さんと、隣にこの道具「圧搾器」を使っている様子があります。

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 いずれにしても、残された時間は少ないかも。今だから伝わる話、伝わる技術、伝わる歴史がたくさんたくさんありそうです。(R)

posted by 岩内町郷土館 at 2016年11月10日16:17 | Comment(0)

ひとりごと 町の貴重文化財「簗瀬邸」存続のためには何が必要なのか

 Facebookでもアップしましたが、先月開催されたイベント「歴史散歩」では、当主である簗瀬様にご了解いただき、簗瀬邸の内部を特別に見学させていただきました。

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 すりガラスの模様が、とても美しい。こんな繊細な美しさのある建築、現代はあるのでしょうか。

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 明治39年の建物。もと会津藩家臣であった簗瀬真精は、維新後に北海道開拓使に出仕、明治12年岩内古宇郡の初代郡長となり、岩内町行政の基礎を作り上げた偉人です。この岩内で生涯を過ごされました。
 戊辰戦をくぐりぬけ、北海道の官職にあたった簗瀬氏。開拓使の辞令や松平容保からの書状など、その文書資料は多伎にわたり、町のみならず北海道、日本の歴史上でも重要な位置にあります。
 そして、この簗瀬邸もその貴重な資料の一つです。

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 岩内大火がもしなかったら……小樽や函館にも匹敵する歴史的建造物が多数あったであろう岩内。現在姿をとどめているのは数軒。これを今、大事にしようと思い立つ人がいなければ、モノだけではない何か大事な事が一つ、失われてしまうような気がしてなりません。岩内独自の心とか、精神とか。
 それは、仕方のないこととして考えなければならないものなのでしょうか。
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posted by 岩内町郷土館 at 2016年10月05日12:06 | Comment(0)

できごと140年前の司法と警察が蘇る…特別企画展スタート

 本年度第四回特別企画展は「明治期の岩内の行政・司法展」とのテーマで展開いたします!

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 明治9年(1876)智恵光寺境内に札幌警察の巡査派出所が置かれたのが、岩内警察の始まりでした。明治初期の混乱期、北海道は函館戦争などという特殊事情もあり、人々の暮らしを守る警察業務は早くから求められていました。

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 今回は、当館所蔵の警察、裁判所関連資料を総動員。実は初公開なのが、下の写真。上の、最初の警察庁舎の写真は、以前から館でよく見られていたお馴染みの写真ですが、これはその裏書きで、写っている方の肩書きや氏名が今回初めて明らかになりました。
 そしてその中の「探偵」である本郷松右衛門なる人に関連した古文書も展示します。

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 この他、岩内警察署より特別展示用に借用したものも見ごたえあり! 
 当企画展は、11月20日(日)までです。
 この機会に、皆様のお越しをお待ちしております!!

posted by 岩内町郷土館 at 2016年09月20日16:52 | Comment(0)

できごと歴史講座 島野村の水田誕生秘話

「島野村あっての岩内町だし、岩内町あっての島野」という言葉を、古い歴史を知る方々よりよく聞かされます。今「島野村」という町村はなく、住所地名にもありません。島野村は昭和29年の大火を被った岩内町と翌年に合併したのです。でも郵便局は敷島内でも野束でもなく「島野郵便局」。岩野橋を挟んで、こっちでも向こうでも島野という地名は消えることなく、根強く使われています。
 そんな島野村の元役場にいた、吉田吉就さんがこのたび歴史講座でお話をして下さいました。

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テーマは「島野村の水田誕生秘話」。海の民が、初めて岡で水田を作る…人々や町の行政は、様々な困難を乗り越え、この小さな町に水田を開きます。大変面白いお話でしたので、詳細はさらに後日、まとめておきます!
 講座終了後、島野のはなしで参加者と話の尽きない吉田さん。今後もたくさん、お話をお聞きしたいと思います!

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posted by 岩内町郷土館 at 2016年09月07日14:03 | Comment(0)

できごと国鉄岩内線廃線のシンボル、製作者と再会!

「ずっと以前から、ここにあるとは聞いていたんですが、半信半疑で……」

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 本日来館された、札幌市の久保昇次さんは、元国鉄、倶知安機関庫の機関士で、昭和30年代末より倶知安−岩内間を何度も往復されていたそうです。
 岩内線が廃止の時、久保さんは仲間の森義光さん、渡部要さんと3人でこの「さよなら岩内線」を制作。その後は倶知安を離れましたが、このたび岩内に来る機会があり、感動の再会となりました。
 国鉄ファンの方や地元も、貴重な資料として大切にしていますとお伝えすると、とても喜んでおられました。

 郷土館にある、いつも目にする一つ一つの資料は、ただ「ここにある」というだけではない、久保さんのようなさまざまな「だれか」の手がかかり、思いがあると改めて気づきます。
 大変ありがたいお写真を、今日も一枚撮らせていただきました!(r)

 

posted by 岩内町郷土館 at 2016年08月24日16:22 | Comment(1)

ひとりごとルーツ(来し方)をさがしに

 お盆ですね〜。年に一度、ご先祖さまにご挨拶して、親兄弟親族が集まり…という日本ならではの夏。
 毎年この時期には、必ずお会いできるお客様があり嬉しい限りです。みなさまご実家のように、郷土館を訪れて下さいます。そして、いつもこの季節になると「我が家のご先祖を探しに」というお客様、大変多くなります。

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 明治の頃に発行された町の要覧、広告には屋号がついていて、この屋号が結構重要。ご先祖探しのカギともなります。

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 岩内は漁業の町ですが、実は大から小まで、商家のとても繁栄したところでもありました。小売、問屋、運送、職工、旅館に飲食、寄席劇場……。とにかくこんな小さなエリアに、ありとあらゆる商売があったのです。
 数十年間のブランクを経て、ご子孫が岩内の地を訪れ、郷土館で自分の身内と縁のある姓名を発見し「へええ」と驚きの声を上げるのを見ておりますと、これは本当に大切な出会いなのだなと感じることがあります。

 誰もが同じなのかはわかりませんが、人は成長してある年になると、自分の来し方「ルーツ」に出会いたくなるのではないか。と、感じます。どこかの町の、歴史につながっていると思う、知ることができるのは、実は生きていく上でとても重要なことなのではないかと思います。
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posted by 岩内町郷土館 at 2016年08月14日16:52 | Comment(0)

ひとりごと佐藤彌十郎氏の「身辺雑記」より

現在、郷土館で開催中の企画展「岩内と戦争パート2 『郷土たより』に見る戦時下の岩内」。戦地の郷土兵士に宛てて送られた、この「たより」を元に展示をしています。当時編集をしていたのは佐藤彌十郎氏、戦後の昭和46年には、岩内町郷土館を創設し、初代館長でもあった岩内町にとっては忘れられない偉人です。
 下は、当館に所蔵される「郷土たより」最後の号最終ページ、「身辺雑記」とのタイトルで、佐藤氏の書いた日記風の文章があります。昭和20年3月発行。

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「二月九日 札幌に出て東工教授富塚博士の飛行機に関する懇談会に出る。容易ならぬ戦局を今更ながら痛感させられる。科学に劣弱な日本人、根本は日本の教育(学校、家庭、社会等)の革新に俟たねばならぬが、さてそれがいまの間に合ふか」

 富塚博士は東京帝国大学教授、工学博士、航空機エンジンの研究者で国内ではその第一人者です。札幌で行われた懇談会で、佐藤氏は専門家の話の中から、敵国の巨大な科学力を知り得たのではないでしょうか。
「科学に劣弱な日本人」と佐藤氏はこの時、明らかに察しています。「間に合うのか?」という問い。国全体が向かっている敗戦の運命。運命に巻き込まれるであろう銃後の町の人々。
 一つの文章から、一人の人間の中に起こった目まぐるしい、深い葛藤を想像させられます。今現在を生きる者が開戦、敗戦というものを現実にあった歴史として捉える、それは一つのきっかけともなります。

 それにしても、佐藤氏はこの文章を戦地の軍人に宛てて書いたのでしょうが、銃後の岩内町民向けなのかも、あるいはひょっとして戦後70年、80年後の現在を生きる、私たちに伝えたかったのかもしれません。残された者たちよ、見て、考えろと。(r)

posted by 岩内町郷土館 at 2016年08月04日17:03 | Comment(0)

お知らせあす7月31日(日)は第3回歴史講座

 写真の「岩内音頭」が製作されたのは昭和9年。町並みは昭和12年に日中戦争が始まる前後の岩内です。
 今回の歴史講座は「『郷土たより』でわかる戦時下の生活」。戦地の岩内出身兵士に届けられた「たより」をもとに、当時の町の様子や人々のくらしを知る講座です。講師は坂井弘治館長です。

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 午後3時より。受講料は500円(入館料、お茶代等)。当日郷土館入口にて受付です。多くのご来館をお待ちしております。

posted by 岩内町郷土館 at 2016年07月30日11:24 | Comment(0)