岩内町郷土館ブログ

岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
岩内町に関する情報や岩内町の様子などを発信しています。

お知らせ岩内魂「進取の気質」を育てた茅沼炭鉱

 7月25日(火)より第三回企画展「茅沼炭鉱採炭160年 進取の気質を育んだ茅沼炭鉱」が開催されます。

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(明治29年北海立志編より)

 幕末安政3年に燃える石「石炭」が茅沼で発見されました。折しも函館開港の翌年、函館奉行所は入港してくる外国船に燃料を補給する必要に迫られておりました。茅沼からはじめて掘り出され、岩内港に運び出された石炭は叺(かます、わらむしろで作った袋)に詰めた20〜30。
 小さな漁村であった茅沼には外国人技師が次々とやってきて、日本で初の鉄軌道が敷設され、岩内港までの石炭輸送には架空索道で空を飛んできたというオドロクような歴史もあります。

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(昭和10年代、発足から岩内港間を通っていた架空索道。石炭が0.3トン入るバケットが400個往復していた)

 そしてどの炭鉱にも同じように訪れる石油時代の波にのまれて、昭和44年に茅沼炭鉱は閉山となるのですが、実は北海道炭鉱のどこよりも規模の小さな炭鉱でありながら、浮き沈みの激しい100年以上の歴史を有しているのです。今年平成29年は、安政4年(1857)石炭採掘から160年目にあたります。

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 明治のご維新より、この茅沼炭鉱〜岩内港開発に関わった開拓使お雇い外国人は10人余り。新しいもの珍しいものを、どんどん取り入れていくことを好む「進取の気質」と言われる岩内魂は、ここからはじまったともいわれています。また、茅沼炭鉱の歴史を調べると鉄道の歴史と岩内港の歴史にも繋がってく。これがまたオモシロイ!

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(昭和30年代の茅沼地区)

 戦時下の炭鉱には目をそらしてはならない「影」の部分も。前、北海道開拓記念館の資料などを元に、歴史には必ずある「光」と「影」の両方を展示する予定です。

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(平成29年現在の茅沼に見えるズリ山)

 岩内町内はもちろん、泊村のみなさんにもぜひご覧いただきたい、懐かしい写真もたくさん出てきました!
是非見にいらして下さいね〜!(r)



posted by 岩内町郷土館 at 2017年07月19日14:04 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと今年の岩内神社祭

日本海沿岸、岩内町の神社祭が今年も無事やってきました!

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三日間の日程のうち、必ず一回は雨に見舞われるだろうというジンクスが、今回は持ちこたえましたー。暑い太陽の下、皆様本当にお疲れ様でした。
毎年同じことが繰り返される…これほど泰平なことはありません。そして200年の歴史が一つまた、次世代へ。

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岩内町郷土館も、まちの思いの詰まった一つの箱です。最期の神社までの行列のスタートとしてふさわしい位置にあるということなのでしょうか。感慨深くお迎えし、見送りました。ありがとうございました!

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来年もまた、同じく繰り返されることを祈りつつ。

posted by 岩内町郷土館 at 2017年07月13日00:40 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと岩内町でカワラは作られていたのでしょうか??

 過日、NPOれきけん(歴史的地域遺産研究機構)の先生がご来館しました。岩内町にて明治期にレンガや瓦屋根が多く作られていたのではないか? ということで資料調査とのこと。お話を伺ったところ、北海道庁の資料では、明治30年に岩内郡で生産されたカワラの個数は29万個余り。北海道内の他の地域に比すると突出した数字です。さて岩内町には本格的な「カワラ職人」さんがいたのでしょうか??

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(郷土館収蔵室にある立派な鬼瓦)

 それについて、明確な資料が実はありません。が、岩内にはレンガ工場が明治24年にできている記録があり、レンガの工場でカワラも生産されていた例が数多くあるとのこと。さらに郷土館資料の中には、本州からの移入品なのか、現地岩内生産なのか不明な鬼瓦(それも本格的な彫刻の施された!)がいくつか収蔵されています。

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(明治34年の資料に残る「大宮煉瓦工場」この老込美の所在地は、現在の岩内神社付近と推定されます)

 北海道の冬越しを思えば、カワラの普及は少ない方だろうとも思いますが、郷土館坂井館長の子供の頃の記憶では「自宅も瓦屋根だったし、通りの多くの建物が瓦屋根であった」とのこと。トタン屋根は当時ではハイカラだったそうです。

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(戦時中は、岩内厚生園の向かいにあったレンガ工場で、建材のほか土管なども作っていたそうです)

 そんな町並みが、昭和29年の岩内大火ですべて焼き尽くされてしまったのでした。町内御崎付近には、その時に焼け残ったカワラ屋根の建物が数軒残っていますが、保存の手だても無いものは今にも消えようとしています。

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(郷土館の向かいにあるカワラ屋根の建物。大火を免れました)

 清住に現存する「簗瀬邸」は立派な瓦屋根が保たれています。その偉容を、なるべくなら後世に残していただきたいものです。(R)

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(平成28年の簗瀬邸)

posted by 岩内町郷土館 at 2017年06月25日11:57 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと昭和30年代の東山遺跡調査…以前の岩内考古学

 どーもお久しぶりです。
 ホリカップ出身の土面ほーりーさんです。
 今回はワタクシがどのへんで出てきたかというお話から。

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(ほーりーさんと呼んで♡)

 昭和十年八月三日付で発行された「岩宇郷土研究」という資料に、人面土器に関する記述があります。当時遺跡研究者として岩内地方を訪れていた、北海道帝国大学付属博物館主任 名取武光氏の報告です。
「堀株の崖下に住んでいた三浦といふ爺さん、今は亡くなったが此の人を発掘人夫に連れて歩いた。三浦の爺さんの家の後から子供が土面を発見し、或る人が受け取って、岩内の梅澤さんに譲った話もこの人から聞いた」
大正七年のことです。そして昭和四十七年三月、当時の梅澤家当主梅澤富士郎氏より、郷土館に寄贈となりました。

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(佐藤彌十郎氏による資料『岩宇の郷土研究』)

 昭和31年に東山遺跡より出土の縄文遺物は、北海道の有形指定文化財となっていますが、実はその調査より古い時代に一般の方々より寄贈された土器、石器類も、当館にはかなりの量で収蔵されています。専門的な検証はもちろんされていません。が、これらを大事に拾い上げ、復元し、意味あるものとして後世に伝えようとした人は、何も研究者や専門家に限らず、少なからずいたということなのでないでしょうか。

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(第一展示室の縄文コーナー。ヒスイ、メノウ珠にはちゃんと紐を通す穴がある)

 岩内、そして近隣岩宇には、すぐ足元に素晴らしい宝物が眠っているという気がします。(r)






posted by 岩内町郷土館 at 2017年06月14日12:22 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ5月30日より「縄文時代の岩内」

平成29年の第二回企画展は、縄文時代を展開します!

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 岩内東山遺跡は、昭和31年に初めて本格的な発掘調査が行われ、昭和43年には北海道の指定文化財となっています。
 今回は北海道埋蔵文化財センターさんのご協力も得ながら、岩内というまちの地下に眠る、大規模な古代の歴史に光を当てる企画展です。

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「大規模」なんです。専門家のお話によると、青森の三内丸山遺跡にも匹敵する集落があったかもしれないとのこと。平成13年〜15年に発掘調査が行われた際、出土した遺物は十万点を超え、住居跡などの遺構が30基以上発掘されました。現在のところ新しい調査が行われていないので、その全容はわかりません。が、平成22〜28年調査により、文化財指定の区画が旧調査で決定されていたものとずれがあるということが分かり、今年3月、新たな区画に指定変更が行われました。「文化財指定のお引越」との新聞報道がありました(道新後志版4/7)。

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 新聞で「えええ岩内にそんなのがあるの?」と、初めて知った方もおられるかもしれません。そのくらい岩内の遺跡は東山の高台のかたすみに今ひっそりと眠っています。
 岩内の考古学は、実は明治大正の頃から始まっていました。まだ舗装道路など無かったころは、そのへん至るところに、ごろごろと土器片が落ちていたそうで。次第に学術的に収集、研究しようという気運が高まっていました。
 昭和28年には、北大の名だたる教授、研究者も岩内入りしています。高倉新一郎、更科源蔵、知里真志保など、そして今では北海道考古学の礎となっている大場利夫教授も。
 しかし! 一気に加速するはずの岩内遺跡発掘調査は大きく頓挫してしまいます。昭和29年の岩内大火です。
それまでの資料はほとんど消失、散逸。そして人の心も遺跡どころではありません。

 東山には罹災者のためのブロック団地が建設されることになりましたが、その基礎工事でもどんどん土器石器が出てきます。貴重な遺跡の存続を案じ、なんとか保存をと動き出したのは町の民間の研究者達でした……。

 企画展では、当時の町の人たちがどんな思いでこの遺跡を守り続けるに至ったのか、歴史とともに感じ取って頂けると大変嬉しいです。 (r)




posted by 岩内町郷土館 at 2017年05月28日02:53 | Comment(1)

できごと5月、郷土館で見つけたもの。こんなところにー!

 寒い日が続きますね〜と思っていたら今日、ホップのツルがにょきにょき伸びているのを発見。年々大きくなっているように感じます。

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 発見といえば、今回の企画展は「郷土館お宝・珍品展」。ポスターのうたいには「おもしろ発見!郷土館」ということで、ちょっと展示物の中より面白い発見をば。

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 企画展示の中に大きな木皿、ご覧になりましたか。継ぎ目なく一本の大きな木株より削られたものです。むかしの人の手作業は本当に素晴らしいですね。
 その表面に「やまき」という屋号が刻まれているのを発見。この屋号は明治期岩内のにしん漁大親方、濱喜三郎のものです。人呼んで「やまきの殿様」大変豪華な暮らしをしていたがにしん不漁とともにあっさり没落という天国と地獄の典型を、屋号とともに町史に刻んでおります。

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 第二展示室のガラスケース。床掃除途中ふと見れば、こんなところに「(屋号いりかせ)工藤守 寄贈」とかいてあります。
 いりかせはかつてあった「料亭うきよ」。現在のうきよ通りの名はここからはじまります。料亭、ホテル業、岩内の繁華街では古くから歴史のあった屋号です。おそらくは郷土館が昭和46年に開館の時、寄贈されたものです。
 中身もさることながら、ガラスケースも年代もの(笑)。
 そして、この郷土館には開館から現在にいたるまで、たくさんの一般町民の方の思い入れとご協力があったのだと感じます。


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 本日また新たに寄贈品がありました。
 島野の漁師の大親方、小塚漁場で使われていた立派な御膳です。

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 ありがとうございました。


posted by 岩内町郷土館 at 2017年05月17日16:49 | Comment(1)

できごと高橋信夫飛行士の胸像の由来が明らかに!

 2階展示室にある「高橋信夫飛行士の胸像」。長らくその由来を知る人はいなかったのですが、意外にもその由来が千葉県千葉市の千葉寺(せんようじ)にあるということが新たにわかりました!


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(開催中の企画展で詳しく紹介しています)


 この胸像の台座が、千葉寺の境内に残されているというのです。

 高橋信夫飛行士は、大正時代、日本で初めて創られた千葉県の稲毛海岸「白戸飛行場」の飛行士でした。我が国の航空史の先駆者、白戸栄之助の愛弟子でもありました。


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(千葉寺境内に残る胸像の台座 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲掲載)


 大正12年、訓練中の事故で高橋飛行士は亡くなってしまいます。師の白戸栄之助はその死をたいへんいたみ、同じ年に亡くなった、やはり愛弟子であった嶋田武男飛行士との、二人の胸像を制作し、千葉寺に追悼の碑を建てました。

 ところが、戦時中の金属供出でその銅像は失われてしまいます。郷土館に保存されているのはその像の「石膏型」なのです。作者は彫刻家田島亀彦、大正13年制作です。(千葉市教育委員会発行「千葉いまむかし」より)


 さかのぼる大正8年、高橋飛行士はこの岩内町に来て飛行機を飛ばしました。どのような経緯でこの航空披露が開催されたのかは不明ですが、集まった大観衆は初めて見る飛行機に大興奮であったと記録にあります。

 高橋信夫は、明治期に岩内町で私学校を創設するなど、岩内の教育行政に大きな偉業を残された高橋常四郎の孫にあたります。父萬吾は、神恵内方面で漁師の親方であったそうです。信夫自身は岩内出身ではなく準岩内出身といったところ。しかしながらお祖父様のご縁で岩内の空を凱旋飛行されました。


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(大正8年6月15日。岩内上空飛行)


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(町内大和公園にある、高橋常四郎の石碑)


 この時代の地方都市で飛行機の発着飛行は実に珍しく、昭和の偉大な郷土史家佐藤弥十郎氏の言を借りていえば

「岩内というところはこわいところだ」(笑)

 今の町民センター、旧中央小グランドの高台を発着、老古美、前田の上空を飛んだということです。 


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(稲毛民間航空記念館には、高橋信夫飛行士の奉納したプロペラなど、ゆかりの資料があるそうです)


 なお、このたび千葉市で発行された「千葉いまむかし」という冊子にて、白戸飛行場と高橋信夫飛行士の資料が詳しく紹介され、郷土館にある胸像についても紹介されました。


 さらに千葉寺の台座の写真等は「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」さんにもご協力をいただきました。


 ありがとうございます!

posted by 岩内町郷土館 at 2017年04月27日23:37 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと平成29年度 郷土館オープンです。

 いよいよ平成29年4月7日金曜日、午前9時より郷土館が開館します。お近くの方も遠方よりの方も、たくさんの皆さんのお越しをお待ちしております。


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「とはいっても、一度見たし展示も変わらないんじゃ?」……と、思っている方、もちろん、おおまかな岩内の歴史は不動です。が、過去の歴史を掘り下げて知ろうとするとき、思いもよらぬところから意外な新発見もあり、これこそが郷土館の楽しさ、魅力でもあるのです。

 岩内。長い長い歴史です。埋もれた資料がどっさりあります。何度来ても、面白いものがきっとあります。


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 是非、あなたのお気に入りの「歴史物語」を見つけに来て下さい!

posted by 岩内町郷土館 at 2017年04月07日00:07 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと昭和63年のいわないスキー場写真発見!

 昭和の終盤というと、少し前のような気がしますがよく考えれば、平成になっておよそ30年の歳月。30年前の岩内山のにぎわいを写した写真がたくさん見つかりました!


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(稼動していた頃の第二リフト)


 このところ、岩内町では岩内山のふもとにある温泉、スキー場などの再開発構想が話題となりました。新しい時代の機運に乗り、新しいまちのすがたを作っていく時なのかもしれません。そんな中、このタイミングで古い写真の山から30年前のスキー場のすがた。感慨深いものがあります。

 このころは人口20、811。景気も今とは大違いですが、海を望むすばらしい絶景のスキー場という点ではまったく変わりがありません。滑走を楽しんでいる人たち、子供達の笑顔、今と同じです。


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 まちの貴重な観光資源であり、古くから変わらぬ自然の恵みの宝庫でもあり、まちのどの場所に暮らしていてもその姿を眺めることのできる親しい山、木田金次郎画伯が何度もその姿を描き留めた岩内山。30年後にはいったいどのような姿となっているのでしょう。


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posted by 岩内町郷土館 at 2017年02月20日17:16 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ郷土館は、冬季休館に入りました。

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 11月27日をもって、本年度の郷土館は終了、冬季休館となります。今年もたくさんのご来館、ありがとうございました。平成29年度は4月より開館の予定です。なお、当ホームページ、ブログ、フェイスブックでは年中無休で情報発信していきますので、今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

posted by 岩内町郷土館 at 2016年11月28日11:36 | Comment(0)