岩内町郷土館ブログ

岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
岩内町に関する情報や岩内町の様子などを発信しています。

お知らせ郷土館資料「白水会記録會計」公開資料となりました

 2022年7月16日。有島武郎が岩内を訪れた、ちょうど100年後のこの日に合わせることが出来ました。
 時代は大正11年(1922)。有島の小説「生れ出る悩み」の主人公モデルとなった画家、木田金次郎を中心とした青年グループ「白水会」が岩内に誕生し、この会では有島武郎の岩内講演会を開催、さらに大学教授や代議士の講演会、普通選挙啓蒙運動、音楽演奏会などなど、当時一流の文化芸術を呼び込み、町内に広げる活動を繰り広げていました。

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「白水会」の大正11年からの活動記録を綴った資料『白水会記録會計』が、この7月16・17日に当岩内町郷土館ホームページとニセコ町「土香る会」ホームページ上にて公開され、一般の方々に閲覧出来るようになりました。

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 土香る会の梅田氏をはじめとした会員の方々により、全ページを画像データ化され難読な本文を翻刻、テキストデータにまとめ上げられたものです。長く膨大な作業に、心より感謝と敬意を表したいと思います。
 ニセコ(狩太)と岩内の、作家有島武郎と画家木田金次郎の深い縁から始まる、「潮の花」咲くがごとき岩内文化の歴史を御覧頂けることと思います。是非とも多くの方に見て頂きたいと思います!

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posted by 岩内町郷土館 at 2022年07月18日13:22 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ国体からオリンピックまで〜岩内のサイクルレーサー伝説

企画展「岩内のアスリートたち」は、8月28日(日)まで開催中です!

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(岩内体育協会20周年記念誌より。中央が中川伊吉氏)

 岩内で自転車が使われ始めたのは大正12年ころ。記録では「中川伊吉が仲間と自転車遠乗会をした」とあります。自転車がまだ高級品で、当時はお金持ちの道楽といわれていましたが、その頃の岩内には62台の自転車がすでにあったそうです。中川氏はやがて「フレンド商会」という自転車業を起し、自転車の普及と競技選手の育成をはじめました。

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(左:昭和初期の岩内自転車サークル。フレンド商会前にて 右:フレンド商会の建物と中川伊吉氏)

 国体「国民体育大会」は、戦後の昭和21年から開催されましたが、その自転車競技種目で、北海道代表として参加していたのはなんと、このフレンド商会から輩出されたレーサー達でした。しかも第一回の昭和21年から昭和32年にかけての連続出場です。北海道の自転車競技のトップ選手が、岩内町から生まれていたという輝かしい歴史がありました!

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(岩内の国体選手の記録。11年連続で出場しています!)

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(昭和27年 北海道新聞 「北海道縦断サイクルレース」の記事)

 昭和27年には、北海道新聞社の創立10周年記念として、北海道縦断サイクルレースが開催されました。釧路から函館まで、総延長761qを4日間で走破するという本格的なレースに、岩内を中心とした後志チームが見事優勝。このメンバーの中に、当時15歳であった岩内の岡田照和、16歳の大沢鉄男が入っていました。岡田、大沢両選手はその後の高校総体、国体でも活躍し、大沢選手は昭和31年のメルボルンオリンピック出場という大舞台まで昇りつめていきました。

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 今回の企画展PRポスターを作るにあたり中心に使いたかったのが、もっとも力強い印象を受けた「大沢鉄男選手の勇姿」でした。

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(昭和31年 大沢選手オリンピック出場壮行会)

 大沢鉄男選手がオリンピック出場した昭和31年は、二年前の昭和29年岩内大火で、町の約八割を焦土にし、その後「不撓不屈の精神」で岩内町が復興を遂げた年でもありました。オリンピック壮行会が行われた記念写真は、旧岩内一中グラウンド(現町民グラウンド)で撮影されています。大沢選手の隣に座っているのは、当時の山本律町長。そして一緒に写っている多くの岩内町民が、あの大火を乗り越え、大きな期待をもって大沢選手を見送っているのが伝わってきます。

 洒落た洋館風の建物だった「フレンド商会」も、大火で焼失したと思われます。岩内の自転車競技については、もっと多くの写真や資料がここにあったかもしれません。
 しかしこの度、いつも郷土館内の活花でお世話になっている岡田先生から、ご主人の故岡田照和さんのものであった、貴重なスクラップブックをお借りすることができました。ありがとうございます!

 中川伊吉さんから始まり、多くの岩内レーサーが活躍していた時代に、改めて光をあてる機会となりました。




posted by 岩内町郷土館 at 2022年07月14日14:56 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ第二回企画展「岩内のアスリートたち」開催中!

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 郷土館での第二回企画展は、町のスポーツの歴史とヒーローたちの活躍を紹介。とにかく躍動感あふれるものにしたい、見る人が元気になるようなものにしたいと思いました! 館内の資料のみならず、町民の皆様よりご協力もたくさんいただきました。

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 2004アテネオリンピック銅メダリスト、田南部 力選手。岩内町内を廻る凱旋パレード。

 岩内のレスリング競技の歴史は、1989(平成元)年のはまなす国体岩内町開催が決まった時からはじまりました。岩内がレスリング競技の会場になるということで、町では選手の育成、子供たちへの競技の普及を目指し、レスリングクラブがつくられました。この「岩内ちびっこレスリング」から、国体、インターハイ、そしてオリンピック選手を輩出するほどのレスリング黄金時代が築きあげられていったのです。

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 岩内出身、岩見沢農高 久米 貴幸選手、高1で全道を制覇。高校は田南部選手の一級下でした。(写真に写ってます)

 久米選手は、岩見沢農高に入るやいなや、一年生で全道優勝を果たしました。二年生では、団体戦で田南部力選手と共に全国大会出場。そして三年生で念願の全国制覇を果たしたのです。

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 平成元年に開催されたはまなす国体、レスリング競技では、岩内出身の斉藤選手が活躍しました。この様子を学生時代の田南部選手、久米選手は見ていたかもしれません。全国からのトップ選手が集まる「国民体育大会」にふれた若い世代が、世界の舞台でのちに活躍することになったのです。こうした歴史を知れば知るほど「岩内のスゴイところ」が改めてわかります。

 しかもレスリングだけじゃないのですよ〜(笑)



posted by 岩内町郷土館 at 2022年06月30日16:45 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと6月25日(土)より「岩内のアスリートたち」

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 岩内町郷土館第二回企画展「岩内のアスリートたち」が、6月25日(土)より。現在着々と準備をすすめており、町内の関係者各位さまにも資料ご提供などのご協力を頂いているところです! ありがとうございます!

 郷土館二階に保管されている競技用自転車は、昭和31(1956)年、メルボルンオリンピック自転車競技に出場した、郷土岩内出身大沢鉄男選手の自転車です。

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 昭和29年(1954)の岩内大火から2年後。不撓不屈の岩内人たちが町を一から再建し、公共の建築物をわずか2年で再建、復興が宣言されたその年のこと。大沢選手のオリンピック出場は、町の復興に花を添えるかのような誇らしい、明るいニュースでした。もちろん町をあげての応援がなされました。
 その競技用自転車が、今はひっそりと郷土館の二階にくつろいでいます。「SILK」というメーカーは、当時の片倉自転車というメーカーの「片倉シルク」というブランド。国産のロードレース用自転車の嚆矢であり、オリンピック日本選手の公式自転車でした。なぜシルクという名前なのかというと、片倉工業は元々製糸紡績業の大手であり、世界文化遺産となった「富岡製糸場」の所有者であったという歴史があります。車体の部分を丁寧に細かく観察してみると、知らなかった歴史がまた一つ、また一つと浮かんできます。

 岩内のスポーツの歴史を取り上げる企画展。実は初の試みです。岩内は文化、芸術の町ということはこれまでも多く取り上げて来たのですが、忘れてならないもう一つのお宝は、町のスポーツの英雄(ヒーロー)です。そしてそのお宝が生まれる背景には、古くから豊かな町であったからこその、スポーツ振興の歴史がやはりあったのです。

 特にスポーツに興味はないという人でも、甲子園に地元の高校が出ると「ガンバレ!」って思います。最近ではカーリングのロコ・ソラーレの活躍に全道が熱くなりました。身近なスポーツ選手を応援したくなるのは、愛郷心(故郷を思う心=パトリオティズムpatriotism)の自然な発露です。
 そして、オリンピックなど大きな大会に出場したあと、選手たちの多くが言葉にするのは「応援してくれた多くの人々、支えてくれた地元の人々への感謝」です。スポーツを介して人々は、国や故郷への思いを共有し、深めることが出来るのだと思います。

 郷土館にぴったりのテーマではありませんか!(笑)


 

posted by 岩内町郷土館 at 2022年06月11日15:08 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと第一回歴史講座「1922有島武郎の岩内講演」

去る4月24日、郷土館にて歴史講座を開催しました。テーマは「1922年有島武郎の岩内講演」。有島の、生涯の最初にして最後の岩内訪問についてお話をしました。

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(安達牧場の有島武郎(左)と木田金次郎)

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(岩内白水会。前列右が29歳の木田金次郎)

1922(大正11)年、今から100年前の7月、有島武郎は木田金次郎をはじめとする白水会の要請で、岩内を訪れ講演をしました。その詳しい様子が記録された『白水会記録會計』と、昭和3年に雑誌「婦人倶楽部」に掲載された『有島武郎の日記』をもとに、有島が岩内のどこに滞在し、何を食べどんなことを思ったのか。その様子を時を追って調べてみました。

まず、狩太の駅から小沢で乗り換え、岩内の駅に降りた有島武郎は、御鉾内町(現在のドーム公園付近)の藤田旅館に入ります。

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(当時の藤田旅館。右は昭和5年岩内地図の拡大部分)

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(昭和5年岩内地図。関連するところに〇がついています)

 その後、岩内町役場議事堂へ向かい、およそ一時間半の講演を行います。演題は「惜しみなく愛は奪ふ」。会場は400名もの聴衆が詰めかけ、さらに講演のあと宿に戻ってからも、有志の青年たちと深夜まで対話をしています。「実に彼らの熱心な事には驚くほかなかった」と有島は回想します。
 中央から遠く離れた北海道の西端の漁業の町で、これほど多くの人々が熱心に有島の話に触れたということ。岩内は「進取の気質」の町であるということがよくわかります。

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(明治36年に竣工した岩内町役場。議事堂はこの中にあったと思われる)

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(岩内女子小学校)

 次の朝、村上別荘を訪れたのち、有島は女子小学校で男子小学校からも来た生徒約600人を前に講演します。演題は「一人の為めに」。有島は講演中「涙が出て仕方なかった」と語ります。子供たちの純粋な命に対し、真剣に語りかけた有島の姿が浮かびます。有島の文章は当時、小学校の教科書にも採用されていました。
当時の岩内の子供たちは、どんな思いで作家の言葉を受け止めたでしょうか。

 その後、有島は木田金次郎の家を訪れて、昼食を振舞われます。
 金次郎の父、木田久蔵は当時健在で、所有している漁場がその後漁港工事の影響で失われてしまうのですが、いまだ現役であった漁業家木田家を訪れています。

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(昭和5年岩内地図の木田久蔵の家。現在の大和埠頭付近)



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(安達牧場。笑顔の有島武郎)

 その午後、有島は三十人ほどの青年たちとともに、安達牧場へ散策します。牧場では夏の爽やかな風が吹き、新鮮な牛乳、菓子などが出され、有島は心のままにホイットマンの詩を朗読します。「時間の短いのが惜しまれた」と回想します。

 これがちょうど100年前の、有島武郎の岩内訪問でした。
 一年後、悲しい心中事件が起こる事など誰も想像し得なかったほど、平穏な幸福な訪問でした。そしてこの訪問と出会いが「白水会」という青年グループを生み出し、大正デモクラシーの時代の岩内において、人々の人生に大きな波紋を生み出していくのでした。



posted by 岩内町郷土館 at 2022年04月27日12:41 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ令和4年度岩内町郷土館はじまりました!

本年度も宜しくお願いいたします! 
第一回企画展「郷土館お宝・珍品展part8〜有島武郎と『白水会』の100年」は、4月16日より始まりました。
木田金次郎と佐藤彌十郎を中心とした、大正デモクラシーの時代の若者たち。彼ら白水会の活動が、岩内の文化的素養を豊かに育てる始まりとなりました。


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お天気のいい日は大漁旗でお出迎えいたします〜。

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企画展は6月12日(日)までです。

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posted by 岩内町郷土館 at 2022年04月16日15:49 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ岩内町郷土館は令和4年3月末まで冬季休館です!

 2021(令和3)年、本年度も岩内町郷土館へのご来館、ご協力を下さいました皆様、そしてこのページをご覧下さっている皆様、ありがとうございました! 今年はコロナ緊急事態の休館等ご迷惑もおかけいたしましたが、無事に一年を過ごすことが出来ました。御縁のあった皆様に心より感謝申し上げます。

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 このご時世ですのでイベント開催などもままならず、最後の「ぱとりあ歴史さんぽ」も、多くの参加ご希望がありながら、当日の悪天候でやむなく中止となり残念……来年こそは実現します! 楽しい企画も充実させていきたいと思っています。

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 今年も沢山の出会いがありましたが、寂しいお別れもありました。
 長年郷土館理事を務められた清川義明さん。第三代郷土館館長の吉田吉就さん。お二人には多くの御恩を頂きました。心より感謝いたしますとともにご冥福をお祈りします。
 本年度は郷土館開館50周年ということもあり、この半世紀の歴史をまとめた記念誌を刊行いたしました。歴代の理事、館長をはじめ、これまでどれほど多くの方々に、郷土館は支えられて来たことかと改めて気づきました。この礎の上に、私たちは皆さんと共にまた新たな歴史を積み上げて行かなくてはと思います。「先人の勇気ある挑戦を思い起して」と、記念誌に吉田さんが書き残された言葉は燈明のようです。
 来年度も皆さんのご支援ご協力を賜ります様、どうぞ宜しくお願い致します。

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 なお冬季休館中ではありますが、こちらのサイトへのコメントやフェイスブック、メールのお問合せにつきましては受け付けております。お気軽にアクセスしてくださいね!

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年12月08日14:53 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと岩内古宇と樺太展〜外地よりの復員者に手厚く

 岩内町郷土館開館50周年記念「岩内古宇と樺太展」は11月23日(火)まで。いよいよあと一ヵ月弱となりました。多くの方のご来館を頂いております。とくに横綱大鵬の写真のところでは「おお! ナゼ岩内に?」と不思議がる声が聞こえてきます! 大鵬と岩内のご縁、答えを知りたい方はぜひ郷土館へ!

 さて、写真は初代郷土館館長、佐藤彌十郎氏の残した戦後資料「未復員者名簿(岩内町復員促進同盟会)」です。昭和20年8月15日の終戦当時、多くの日本兵が樺太に限らず北方四島や、満州、南洋などに出ており、多くは捕虜となったり、抑留され強制労働にと、敗戦国兵士の多くは大変辛く厳しい状況にありました。
 そのような中、岩内の人々はどうしていたか。

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 表紙左端に書き込みがあります。「21.8.1 未復員者総員 386名 / 22.7.31調 生還76 戦死72 / 現在 238」


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 一番上の項は、町内会の番号。次に出征軍人の「留守担当者(妻や両親など)」の名前があり、出征者本人の名前が書かれています。赤線で消されているのは、外地から無事帰還したか、もしくは戦死。消されていない名前は、この時点で安否を確認出来ない方々ということです。
 このように岩内では、戦地からの兵の帰還状況を詳細に記録していました。

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(左:「うれしい通報ー岩内町復員促進同盟会」 右:『昭和24年岩内要覧』より)

「うれしい通報 ソ連領内の引揚げ十月から開始か−マックアーサー司令部は九月二十六日午後次の声明を発表した。
 ソ連領内にある俘虜ならびに一般市民の引揚げに関しテレビヤンコ中将から『ソ連政府は同中将が米軍司令部との交渉を行うことを承認した』」

「目下計画されている交渉は、ソ連本国、樺太千島列島を含むソ連領にいる全日本人俘虜の引揚げ並びに一般日本人を日本へ返すことに及ぶものである」
 これを書いた岩内町復員促進同盟会の会長は、戦時中において「在郷軍人会」の会長であった佐藤彌十郎氏です。佐藤彌十郎氏はこの後公職追放となり、数年間失意の歳月を送ることになるのです。

 岩内町内では、同盟会や有志からの寄付金が集まり、帰還者へ一時金が渡され、各地区には引揚者住宅が急遽建設されました。引揚者は授産施設で仕事も出来るようになり、引揚者が商売を始める「マーケット」も作られ、引揚げ後の暮らしを安定させるための様々な取り組みがなされました。


 さて、戦中、岩内では外地へ出征している岩内兵へ届けるための、町の情報誌「郷土たより」を作成、発行していました。その中の記事から、興味深いものを発見! 

「完成目指して 岩中敷地の整地奉仕」
 昭和17年、岩内中学校(現岩内高校の前身)の設立が決定され、宮園の建設予定地の傾斜地を、平らにならす土木作業です。各町内会の人々の奉仕があり、当時の男子学生達も駆り出されました。


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 作業の様子を写した写真もありました! ここが、今の岩内高校ですよー!

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年10月31日16:42 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ令和3年度第三回企画展「岩内古宇と樺太展」

 暑い夏を凌ぎましたね皆さん! 岩内を吹く風もすっかり秋です。
 岩内町郷土館では、第3回企画展「岩内古宇と樺太展」が始まりました。令和元年、元小中学校の職員であった故・笹浪奨氏のご家族より、岩内に残る旧樺太資料をたくさんご寄贈頂いたのがきっかけでした。

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 この企画展を準備するうちに、近隣の神恵内村郷土資料館とや、にしん御殿とまりにも旧樺太に関わる資料を所蔵されていることがわかり、急遽各教育委員会さんのご協力を得、貴重な資料をお借り、展示することが出来ました。戦後76年、歴史の風化が危惧されるこの今こそ、「旧樺太」を知ることは北海道、古宇の住人として大切なことであると感じます。

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 ひとつひとつの資料に、深いドラマを読み解くことができます。昭和の名力士、横綱大鵬は樺太出身で、戦後の引き揚げで初めて住んだのは、この岩内町の引揚者住宅でした。その建物は現在も残っています。また、引揚げの時に「国境標石」の拓本をとって、荷物に入れて持ち帰り、その由来を子にも詳しく語らずに亡くなった方も。後に拓本は、ご子孫によって神恵内村郷土資料館に寄贈されました。

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 父母、祖父母が樺太にゆかりがあるという方も多いと思います。広大な土地(現在のサハリン島)に、1945年の終戦までに40万人以上の日本人が暮らしていました。戦時下の情勢の中、生きてきた土地を追われて本国日本へ還りました。そのご苦労や悲しみを、ともすれば多く語らずにいたかもしれません。


 今年3月のニュースで、「全国樺太連盟」の解散が報じられ、当事者の記憶や物語が伝わる機会も少なくなりつつあります。岩内町郷土館に託されたものは、その一部ではありますが、沢山の方に御覧いただければと思っております。

 なお、感染症蔓延防止の対策対応として、令和3年9がつ30日(木)までの期間、入館者制限(町内)をいたしております。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。(R)







posted by 岩内町郷土館 at 2021年09月14日12:51 | Comment(2) | TrackBack(0)

お知らせ第二回企画展「岩内の学校100年の歴史」

 令和3年6月26日(土)〜8月29(日)の期間、「岩内の学校100年の歴史」というテーマで企画展が開催されます。

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 準備しながら、まるで大きな流れに飲み込まれるような印象を受けました。まさに岩内の学校の歴史は、時代とともに分離し合流する、大河のようです。その河の源流から、現在に至るまでを展示します。

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 今回は、町立岩内西小学校より貴重な資料を数点お借りしております! 敷島内地区ウエンドマリは、現在国道のトンネル化によって通行不可能な地域となってしまいましたが、かつては集落があり「雷電小学校」もありました。明治40年代から昭和11年まで存在した、その雷電小学校の資料、また、沿革としては地域でもっとも古い、慶應元年(1865)に寺子屋としてはじまった「島野小学校」の資料も初展示いたします!

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お花も見ごろ、お天気もいい季節となりました〜!
皆様のご来館をおまちしております!

 


 

posted by 岩内町郷土館 at 2021年06月26日11:14 | Comment(0) | TrackBack(0)