岩内町郷土館ブログ

岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
岩内町に関する情報や岩内町の様子などを発信しています。

お知らせ岩内町郷土館は臨時休館中です

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5月31日までとされていた臨時休館でしたが、6月20日までの休館延期となりました。皆様にはご不便をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します。なお、6月13日まで開催の予定であった第一回企画展「郷土館お宝・珍品展パート7〜昭和46年〜」は、NOTE.comの新しい岩内町郷土館サイトhttps://note.com/iwanaikyoudo/n/n49d21371d8bb
で特別に公開展示しております! 連載ですよ〜。ぜひぜひご覧ください。

posted by 岩内町郷土館 at 2021年05月29日12:40 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと高橋常四郎翁の直筆の和歌を発見

北海道に出された緊急事態宣言のため、岩内町郷土館は5月18日(火)〜5月31日(日)の期間、臨時休館となりました。なお、お問合せや資料調査等、ご連絡の必要な方は、お電話、メール、メッセージにて対応可能です。お気軽にお問合せ下さい。

 さて、昨日資料室で見つけたのは、明治時代、岩内に於いて「私立岩宇同修学舎」という私学校を創設した高橋常四郎の直筆の和歌です。高橋翁は旧会津藩士で、戊辰戦争以降、並々ならぬ苦労の末に岩内へ来られました。そして当地の教育者として功績を残しただけではなく、和歌の道にも造詣が深く、流麗な筆使いと「恒道」という雅号で、一目でそれと確認できました。

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「京都在番の折洛東百 
 萬遍知恩寺なる屯所に
 夜もすがら法の声をきき
           て
   高はし恒みち
 百萬かへし唱ふる
 法の師も安御代
 いのる外やなからむ」

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「寄錦木恋
 身に負はぬにしき木とてや千歳まで
 たつれど人のつれなかるらむ」

 ほか、全部で7枚ありました。大切に保管します。

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先日の、ホリカップ浜より雷電刀掛岩を望む一枚。

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袋澗みなとの跡があります。

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望遠で対岸を写してみました。西校とマルハンが見えましたー!

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岩内山です。いよいよ夏バージョンの衣替えですー。

posted by 岩内町郷土館 at 2021年05月18日16:49 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ令和3年度の岩内町郷土館オープンです!

まだまだ風は少し冷たいのですが、岩内町郷土館は本日よりオープンです!

午前中より、ホールの生け花奉仕をして下さる岡田先生をはじめ、教育委員会担当のみなさま、地域おこし協力隊の面々にまじり、一般のご来館者もちらほらと。
 ありがとうございます! 本年もどうぞよろしくお願いいたします!

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郷土館第一回企画展「岩内町郷土館 開館50周年記念企画展 郷土館お宝・珍品展〜昭和46年」は、4月17日(土)より開催いたします! 皆様お待ちしておりますー!

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野束川に写る「さかさ岩内山」

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郵便ポスト。今時期は草も少ないので枝の間からその姿がよく見えます。

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岩内の空と海は、これからいよいよ見ごたえありですよ〜

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年04月06日16:40 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと眠っている観光資源を掘り起こし利用しよう−2014年の坂井館長のコラムより

 眠っている観光資源を掘り起こし利用しよう
                    岩内町郷土館館長 坂井 弘治

築100年以上過ぎた「簗瀬家」の玄関の上に旧会津藩主松平容保(かたもり)公の日光東照宮宮司時代の扁額がかかっている。持ち主であった故簗瀬辰之助氏は「東照宮修築のため多額の寄付をしたのでそのお礼。」と話していた。また、簗瀬家には容保と息子の松平容大(かたはる)からの手紙も掛け軸にされて残っている。内容は、容保の手紙は礼状だということが分かったが、息子の容大のもそうではないかと思われていたのだが、なにしろ難しくて判読できないでいた。

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それが最近になってようやく内容が判明した。そこで判明した新事実は、容大の手紙では明治29年3月に岩内にやってきて、岩内在住の旧会津藩関係者一同から饗応を受けている、ということと、何(多分、生活資金)かを頼み込んで帰っていったことである。また、容保の手紙では、「保晃会(日光東照宮を守る会)会長である自分は職務多忙なので、副会長を派遣」とあり、代理に副会長が来訪したことが分かった。この副会長は、安生順四郎と言い保晃会の生みの親であり、栃木県県議会議長、栃木県で最初の牧畜経営者であった。と、ここまではなかなか立派な人物に見える。しかし、おっとどっこい、足尾鉱毒事件では金にまつわる数々の不正疑惑の絶えなかった人物として登場してくる。
なにはともあれ、当時の栃木県の重要人物と、旧斗南藩主が旧会津藩士を頼って岩内にやってきたことは非常に興味深い。確かに日本全国に散らばっていた彼らの中で岩内在住者は、簗瀬を筆頭にそれなりの経済力があったと思われ、それがこの二つ手紙と扁額からも伺われる。
さて、簗瀬家には宝物がまだある。勿論、和洋折衷の建造物簗瀬邸もそうだが、庭もなかなかなものである。

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岩内には明治時代からの庭園が三園あるが、その中で規模は小さいが一番手入れがなされている。残り二つは井筒さんが所有している「含翆園(近別荘)」と成川さんの庭園である。この二つは歩いて1分足らずのところある。広大な敷地に数多くの由緒ある碑や石塔が立ち並び、江戸時代の狛犬が鎮座し、桜の名所でもある岩内神社からでも5分もかからない。先ほどの簗瀬邸からでも10分。東京以北最大の大仏がある帰厚院からも10分。その目と鼻の先にある全修寺には岩内の最初の道議会議員本間玄契が送った安珍清姫の屏風がある。本館にも総刺繍の屏風があるがそれに勝るとも劣らない立派なものである。

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ここまで書けばお分かりであろう。歩いて10分程度のところに立派な観光資源が8つもあるのだ。これは歴史の浅い北海道では稀有なことだと思っていい。これを有効に利用しない手はない。また、少し町に下がれば木田金次郎美術館がある。左に行けば、日本最初の築港記念碑を横目で見ながらその最初の工事現場を通り、江戸時代からの曲がりくねった道路を歩いて国道に出れば郷土館だ。

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美術館を右に行き、茅沼炭鉱線の線路跡の道路をたどって歩き、途中のどこかの角を左折すると深層水センターが見えて来る。こちらの方は20分程度かかるが、最近健康志向ブームでウオーキングツアーがはやっているので、この「歩き」も売りになる。
「歩き」と言えば円山観音山までのコースも売りになる。私は旅行が好きなのであちこちに行くが、最近目につくようになったのは、ノルデックウオーキング専用ポールを持って観光地を巡っている一団がいることだ。円山まで歩いて4キロ1時間、専用ポールをついてのウオーキングにはもってこいだ。途中に円山ヒーリンファームとホーストラスト北海道がある。駝鳥や馬と遊んで円山頂上の見晴台で疲れを癒すのもどうだろうか。
町の背景にある小高い山地には温泉があり、いにしえの昔、大陸から渡って来た古代人が書いたと言われている文字(文様)が残っている円山、その裾にある荒井記念美術館。キャンプ場からみる絶景の岩内市街と岩内湾等など。みるべきものは山にもある。

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 他の町では車で20分も走らないと、次の観光スポットに行けないが、岩内は違う。市街地の場合は、あっという間に次の観光スポットに行ける。郊外も歩いても健康的にはちょうどよい距離に目的地はある。観光地としての岩内の最大の強みは、面積が狭い、ということだ。合併前の岩内は面積わずかに4平方キロメートル。半日時間をとれば、バスに乗り降りすることなく、江戸時代からの道路から始まって、がごめ昆布の深層水センターまでの間にある数々のスポットを巡って十分に行くことができるのだ。

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 郷土館ではこれを想定して数年前に「歴史散歩ガイドマップ」を作ってみた。今年も改良を加えて、観光シーズンに間に合うように発行する予定である。問題はそれ以後である。これをどう活用するかは観光協会を中心にした関係機関で「活性委員会」のようなものを立ち上げ、そこがやるべきだと思っている。観光で飯が食える街づくりを目指して動くのはいつだ。今でしょう!

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年02月01日20:37 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと2005年の坂井館長の原稿より

本日、令和3年1月9日付の北海道新聞紙上で、坂井弘治郷土館館長の叙勲の記事を見つけました。

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 坂井館長は黒松内中学校の校長をつとめ、退職されました。その後郷土館館長に就かれて長く館の運営をされてきたのですが、やはり根っからの「先生」だった方でした。
 昨年、膨大な文書の入ったデータUSBを預かり、少しづつ解凍をしながら来年度への下ごしらえをしているのですが、中にはさまざまな媒体に寄港した原稿もあります。なかなか面白く読み応えがあります。

2005年に坂井館長の書かれたものを紹介したいと思います。

郷土館館長奮戦記−身から出た錆−
坂井 弘治

 「なあに先生、館長室に座ってればいいんだから。」「非常勤ですから。」
「来館者数にはこだわらんで下さい。」ってなこといわれてその気になって〜
館長になったら大違い〜 
 と,誰かの歌ではないがなってみて驚いた。日々目の回るような忙しさで、
昨年の4月は、初出勤以来2週間以上休館日も含めて連日出勤した。その忙しさは今も続いている。
やらなければやらなくてもいいのだが、性分としてはそうはいかない。ついついあれやこれやとやり始めるのだから、忙しくなるのは当たり前で、女房などは身から出た錆と同情してくれない。多忙の原因の一つが今年から始めた年4回の企画展である。この10月の中旬からは、最後の企画展「岩内古地図展」が11月末まで開催される。岩内は歴史が古く裕福であったため、明治の初めから各種市街地図や港湾地図が出版され、それを展示するという企画だ。  
この地図の中に非常に面白いというか貴重なものとして「昭和13年第7師団町内宿泊図」という地図がある。これは、この年行われた秋季演習終了後実際に兵隊が泊った家とその人数が掲載されたものだ。(明治時代から羊蹄山麓での演習の後、それまで露営で過ごしてきた兵隊が民家で布団の中で休むのは岩内と決まっていた。第7師団の兵隊全員を収容できる町は、岩内しかなかったためである。彼等は、岩内で2日間ゆっくり休養した。当然ロマンスも生まれた。)地図上には赤鉛筆で、いろんな書き込みがあり、当時実際に使われたものであることが分かる。
また、この時、町外れで観兵式を行っているが、一番良い席は当然来賓席だが、次に良い席がなんと岩内高等女学校に与えられている。この事実をどう考えるか。あれこれと面白い想像が沸く。 
多忙の原因の二つ目は、来館者への説明である。私は、団体は勿論だが、個人であっても来館者に打診して、承諾を貰えば案内をすることにしている。そうすることで、私自身の勉強にもなるしお客さんの生の反応を知ることができ、それを館の経営に役立てることができるからだ。
このお客さんとのやり取りで異口同音に出てくる言葉に、「岩内の文化って凄いですね。」「こんなところ(こんな片田舎という意味)にこれほどの文化や歴史があったなんて・・・。」(これは本州のお客さんに多い。)「館内がきれいで良く整理されてますね。」「展示物が豊富ですね。」「うちの町に(関係者に)見せたい。」というお褒め言葉が圧倒的に多い。このような言葉に励まされてやる気がますます生まれる、というわけで、まさに教育は教え育てるでなく、おだて育てるだな、と改めて思っている。


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 岩内町郷土館は冬季休館中です。この連日の大雪で埋まりそうですが…いつも除雪に入って下さる業者の皆様、お世話になります!ありがとうございます!

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 写真は、昨年坂井館長が引退の時、記念にしていただきたくプレゼントした似顔絵です。かわいい(笑)。旭川在住のイラストレーター、小川けんいちさんが描いて下さったものです。
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posted by 岩内町郷土館 at 2021年01月09日15:32 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと泊村ヘロカルウシの「見返り岩」探索

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2021年が始まりました。本年も岩内町郷土館をどうぞよろしくお願いいたします!

さてこの一枚の古写真は「(岩内)古宇海岸見返り岩の奇勝」という説明付きの、昭和10年に発行された記念ハガキです。
 これがいったいどこの場所か皆目見当もつきませんでしたが、こんな素晴らしい景色が、岩宇のどこかにかつてあったのか…と思っておりました。郷土館の昨年度第3回企画展「郷土館お宝・珍品展」にても、パネル紹介をした写真です。

 さてその企画展の期間中、別件の取材で郷土館を訪れたあるお方が、このパネル写真を見て「ちょっと調べてみましょう」と興味を持って下さいました。ほどなくして、「おそらくここでしょう」とメールにて知らされたのは、ホリカップの先、ヘロカルウシ付近。今は泊原子力発電所の敷地内となっているところでした。
もし、場所が分かれば、同じ場所同じアングルで現在の写真を撮ってみたいですねえなどと考えていましたが、まず無理でしょうと思いきや……。

「内部に入ることができますよ!」

 ええええ! 

 一枚の古写真から、データを調べつくし場所を特定し、原発敷地内のその場所へ入る連絡や準備、すべての手筈を整えて下さったのは、小樽開発建設部の方々です! そして、内部でご案内をして下さいました北電の担当者のみなさま、お世話になりました。ありがとうございました〜。 

 というわけで、令和2年11月に開建の皆様、札幌のコンサル会社の皆様、そして郷土館とにしん御殿とまりのメンバーで実現した現地調査。この「チーム見返り岩」の調査報告として、北電さまより提供された写真をご紹介いたします。(外来者の内部撮影は禁止なので、同行の北電の方に撮影していただいたものです。あっちを撮ってくれこっちも撮ってくれと、かなり勝手を申しましてお手数をおかけしました笑)

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 上の写真の赤ヤジルシ部分の、拝んだような形の岩と、手前の草地の部分、海の向こうの山の位置などから見て、ここが昭和10年の古写真と同じ場所であると同行の全員が確信しました。

 さらに次の写真は、その同じ場所の波打ち際の様子です。

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 赤ヤジルシで示した画面右の海中に突き出た細い岩と、左側コンクリートを突き破るような大岩ですが、これは、郷土館の映像コーナーで見られる「昭和初期の岩内」の中、同じ見返り岩を写した映像の中にありました! 

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 この映像で裏付けが取れ、現在の写真の位置が「見返り岩」の場所であると確定しました。

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 隧道の手前、右の方にすっくと立つ細長い岩。これが見返り美人に見立てられて、「見返り岩」の名がついたというお話を、同行した鰊御殿とまりの本間館長から聞きました。その岩が現在は、原発の護岸コンクリートをものともせず、ガンと動かず在り続けているその姿に、感動するのは私だけでしょうか……。

あらためてご協力いただきました皆様、ありがとうございました!(R)



posted by 岩内町郷土館 at 2021年01月04日00:26 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせお知らせです

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本格的な冬到来となりました。
岩内町郷土館は冬季休館となり、隅から隅までしんとしております。
前庭の保津船も、教育委員会の皆様のお陰で冬囲いをされ
ホップ発見の地石碑も何もかも真っ白です。
令和2年度も、たくさんの方にご来館いただき、たくさんの方に支えていただきました。
ありがとうございました。
来年度も宜しくお願い致します。

長年の間、郷土館館長をつとめてこられました
坂井弘治館長が、12月11日に永眠されました。
冬季閉館間際の11月29日には「ぱとりあ通信」の出来具合や来年度の運営のことなど
病院から電話連絡があり、最後の最後まで勤めを果たされた姿にただ感謝の念で一杯です。
お会いしたことのある多くの方に、それぞれの思い出があると思います。
その思い出を語りに、また岩内町郷土館にお立ち寄り頂ければ幸いです。
来年度、温かい4月春が待ち遠しいです。

本日きれいに雪かきをして、少しの間すべての明かりをつけて、
岩内町郷土館よりお見送りをさせていただきました。

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posted by 岩内町郷土館 at 2020年12月14日20:39 | Comment(2) | TrackBack(0)

お知らせ郷土館 お宝・珍品展を開催中です。

郷土館に納められている「郷土資料」は、絵画や文学などの文化的なもののみならず、大小さまざまな産業の道具であったり、古代から中世、近世の人びとの生活の道具であったりと、多岐にわたります。そんなたくさんの収蔵品の中から、しばらくお目にかかっていない懐かしいものや、最近新しく寄贈していただいたものなどを、この機会にお披露目しましょう! 「お宝・珍品展」はそんな企画展です。

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アンティークな卓上扇風機ですが、結構な重量があります。こちらは、昭和十年代のもの。「芝浦製作所」と製造プレートにありますが、芝浦製作所はのちに「東京芝浦電気株式会社」となり、おなじみの「東芝電気」となるのです。

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こちらは、昭和20年代の三菱電機製。羽が三枚になっています(にわか扇風機マニア)

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1972年(昭和47)札幌オリンピックでの、聖火リレーに使われた、聖火トーチです。倶知安から小沢、国富、そして仁木へ向かい、聖火は岩内には入りませんでしたが、当時の岩内高校3年生の坂田秀美君が、選手として一区間を走ったそうです。

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明治の開拓判官松本十郎の掛け軸です。
松本十郎は、明治2年から明治8年の間、北海道根室に赴任しました。その折に作成した紀行文を書き記し、すばらしい絵も入れて、退官後、最晩年の大正5年、時の根室支庁長前田氏に贈ったものが、この掛け軸です。

企画展の一部をご紹介しました! 
期間は11月23日(月祝)までですよ〜。
(R)

posted by 岩内町郷土館 at 2020年10月25日14:45 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと旧島野村の方からの古写真から

郷土館第二回企画展「島野神社と島野の人びと」開催中です。始まって以来、島野ゆかりの方々がたくさんご来館されています。中には、ご自宅に保管していた古いアルバムをお持ち下さる方もいて、これがまた大変貴重な資料です。島野、岩内のみならず昭和30年代の札幌市の名所の写真もありました。
懐かしい写真をいくつかご紹介します。

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昭和30年代の札幌狸小路の写真です。

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昭和33年頃。札幌大通公園テレビ塔。修学旅行の記念写真です。右側の塔は何だろう……。

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昭和30年代。北海道庁赤レンガ。

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昭和30年代の、岩内第二中学校での授業風景。

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昭和37年(1962)岩内高校航空写真です。
この5年後の昭和42年、岩内高校は放火による火災で全焼、飛び火で岩内神社も全焼してしまいました。

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昭和36年頃、岩内高校グランド。
周囲には29年岩内大火のあとに建設された被災者住宅が立ち並んでいます。

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昭和38年、開通直後の雷電国道です。刀掛岩を望む、野趣あふれる(ガードレールもまだない)、岩内地方ならではの、地域住民悲願の国道開通でした。

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昭和30年頃の、島野海岸の子供たち。

写真提供、ありがとうございました!



posted by 岩内町郷土館 at 2020年09月22日12:07 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ本年度第二回企画展「島野神社と島野の人びと」

 今年は、岩内町野束川の西側「旧島野村」と「岩内町」が合併して65周年となります。昭和30年(1955)4月1日。前年の岩内大火で町の八割を焼失、大打撃を受けた岩内町は、古来より関係の深かった島野村と合併。新生岩内町として復興に立ち上がりました。この合併がなかったら、その後の岩内は、そして島野は、はたして今日のようにあったでしょうか。

 郷土館に残る島野神社の神祭具や、たくさんの方から提供された古写真をもとに、島野の歴史をあらためて紹介しています。島野地区ゆかりの方も、そうでない方もぜひぜひご覧ください。お待ちしております!

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 昭和2年の後志地区写真集から見つけました。島野地区の海岸線の様子です。一番奥がビンの岬。現在の鳴神トンネル入り口、新井田古番屋(現敷島内漁港)付近。そこから岩内方面へ向けて。家々や石積みで作られた漁場が連なっています。

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 敷島内地区、坂の上付近の海岸には、現在も石垣積みが残っている場所があります。

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 敷島内、斉藤漁場の建物。

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 その前浜には、やはり石積みの遺構がありました!

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 西尾家のレンガ積み倉庫。

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 立派な瓦屋根が残っています。

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 大正3年の写真集に残っていた「鰊御殿」の写真。敷島内の畑沢要吉邸です。


posted by 岩内町郷土館 at 2020年08月13日10:50 | Comment(0) | TrackBack(0)