岩内町郷土館ブログ

岩内町郷土館でのイベントやお知らせ、
岩内町に関する情報や岩内町の様子などを発信しています。

お知らせ岩内町郷土館は令和4年3月末まで冬季休館です!

 2021(令和3)年、本年度も岩内町郷土館へのご来館、ご協力を下さいました皆様、そしてこのページをご覧下さっている皆様、ありがとうございました! 今年はコロナ緊急事態の休館等ご迷惑もおかけいたしましたが、無事に一年を過ごすことが出来ました。御縁のあった皆様に心より感謝申し上げます。

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 このご時世ですのでイベント開催などもままならず、最後の「ぱとりあ歴史さんぽ」も、多くの参加ご希望がありながら、当日の悪天候でやむなく中止となり残念……来年こそは実現します! 楽しい企画も充実させていきたいと思っています。

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 今年も沢山の出会いがありましたが、寂しいお別れもありました。
 長年郷土館理事を務められた清川義明さん。第三代郷土館館長の吉田吉就さん。お二人には多くの御恩を頂きました。心より感謝いたしますとともにご冥福をお祈りします。
 本年度は郷土館開館50周年ということもあり、この半世紀の歴史をまとめた記念誌を刊行いたしました。歴代の理事、館長をはじめ、これまでどれほど多くの方々に、郷土館は支えられて来たことかと改めて気づきました。この礎の上に、私たちは皆さんと共にまた新たな歴史を積み上げて行かなくてはと思います。「先人の勇気ある挑戦を思い起して」と、記念誌に吉田さんが書き残された言葉は燈明のようです。
 来年度も皆さんのご支援ご協力を賜ります様、どうぞ宜しくお願い致します。

IMG_3143.JPG(令和3年11月1日発行の開館50周年記念誌)

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 なお冬季休館中ではありますが、こちらのサイトへのコメントやフェイスブック、メールのお問合せにつきましては受け付けております。お気軽にアクセスしてくださいね!

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年12月08日14:53 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと岩内古宇と樺太展〜外地よりの復員者に手厚く

 岩内町郷土館開館50周年記念「岩内古宇と樺太展」は11月23日(火)まで。いよいよあと一ヵ月弱となりました。多くの方のご来館を頂いております。とくに横綱大鵬の写真のところでは「おお! ナゼ岩内に?」と不思議がる声が聞こえてきます! 大鵬と岩内のご縁、答えを知りたい方はぜひ郷土館へ!

 さて、写真は初代郷土館館長、佐藤彌十郎氏の残した戦後資料「未復員者名簿(岩内町復員促進同盟会)」です。昭和20年8月15日の終戦当時、多くの日本兵が樺太に限らず北方四島や、満州、南洋などに出ており、多くは捕虜となったり、抑留され強制労働にと、敗戦国兵士の多くは大変辛く厳しい状況にありました。
 そのような中、岩内の人々はどうしていたか。

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 表紙左端に書き込みがあります。「21.8.1 未復員者総員 386名 / 22.7.31調 生還76 戦死72 / 現在 238」


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 一番上の項は、町内会の番号。次に出征軍人の「留守担当者(妻や両親など)」の名前があり、出征者本人の名前が書かれています。赤線で消されているのは、外地から無事帰還したか、もしくは戦死。消されていない名前は、この時点で安否を確認出来ない方々ということです。
 このように岩内では、戦地からの兵の帰還状況を詳細に記録していました。

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(左:「うれしい通報ー岩内町復員促進同盟会」 右:『昭和24年岩内要覧』より)

「うれしい通報 ソ連領内の引揚げ十月から開始か−マックアーサー司令部は九月二十六日午後次の声明を発表した。
 ソ連領内にある俘虜ならびに一般市民の引揚げに関しテレビヤンコ中将から『ソ連政府は同中将が米軍司令部との交渉を行うことを承認した』」

「目下計画されている交渉は、ソ連本国、樺太千島列島を含むソ連領にいる全日本人俘虜の引揚げ並びに一般日本人を日本へ返すことに及ぶものである」
 これを書いた岩内町復員促進同盟会の会長は、戦時中において「在郷軍人会」の会長であった佐藤彌十郎氏です。佐藤彌十郎氏はこの後公職追放となり、数年間失意の歳月を送ることになるのです。

 岩内町内では、同盟会や有志からの寄付金が集まり、帰還者へ一時金が渡され、各地区には引揚者住宅が急遽建設されました。引揚者は授産施設で仕事も出来るようになり、引揚者が商売を始める「マーケット」も作られ、引揚げ後の暮らしを安定させるための様々な取り組みがなされました。


 さて、戦中、岩内では外地へ出征している岩内兵へ届けるための、町の情報誌「郷土たより」を作成、発行していました。その中の記事から、興味深いものを発見! 

「完成目指して 岩中敷地の整地奉仕」
 昭和17年、岩内中学校(現岩内高校の前身)の設立が決定され、宮園の建設予定地の傾斜地を、平らにならす土木作業です。各町内会の人々の奉仕があり、当時の男子学生達も駆り出されました。


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 作業の様子を写した写真もありました! ここが、今の岩内高校ですよー!

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年10月31日16:42 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ令和3年度第三回企画展「岩内古宇と樺太展」

 暑い夏を凌ぎましたね皆さん! 岩内を吹く風もすっかり秋です。
 岩内町郷土館では、第3回企画展「岩内古宇と樺太展」が始まりました。令和元年、元小中学校の職員であった故・笹浪奨氏のご家族より、岩内に残る旧樺太資料をたくさんご寄贈頂いたのがきっかけでした。

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 この企画展を準備するうちに、近隣の神恵内村郷土資料館とや、にしん御殿とまりにも旧樺太に関わる資料を所蔵されていることがわかり、急遽各教育委員会さんのご協力を得、貴重な資料をお借り、展示することが出来ました。戦後76年、歴史の風化が危惧されるこの今こそ、「旧樺太」を知ることは北海道、古宇の住人として大切なことであると感じます。

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 ひとつひとつの資料に、深いドラマを読み解くことができます。昭和の名力士、横綱大鵬は樺太出身で、戦後の引き揚げで初めて住んだのは、この岩内町の引揚者住宅でした。その建物は現在も残っています。また、引揚げの時に「国境標石」の拓本をとって、荷物に入れて持ち帰り、その由来を子にも詳しく語らずに亡くなった方も。後に拓本は、ご子孫によって神恵内村郷土資料館に寄贈されました。

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 父母、祖父母が樺太にゆかりがあるという方も多いと思います。広大な土地(現在のサハリン島)に、1945年の終戦までに40万人以上の日本人が暮らしていました。戦時下の情勢の中、生きてきた土地を追われて本国日本へ還りました。そのご苦労や悲しみを、ともすれば多く語らずにいたかもしれません。


 今年3月のニュースで、「全国樺太連盟」の解散が報じられ、当事者の記憶や物語が伝わる機会も少なくなりつつあります。岩内町郷土館に託されたものは、その一部ではありますが、沢山の方に御覧いただければと思っております。

 なお、感染症蔓延防止の対策対応として、令和3年9がつ30日(木)までの期間、入館者制限(町内)をいたしております。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。(R)







posted by 岩内町郷土館 at 2021年09月14日12:51 | Comment(2) | TrackBack(0)

お知らせ第二回企画展「岩内の学校100年の歴史」

 令和3年6月26日(土)〜8月29(日)の期間、「岩内の学校100年の歴史」というテーマで企画展が開催されます。

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 準備しながら、まるで大きな流れに飲み込まれるような印象を受けました。まさに岩内の学校の歴史は、時代とともに分離し合流する、大河のようです。その河の源流から、現在に至るまでを展示します。

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 今回は、町立岩内西小学校より貴重な資料を数点お借りしております! 敷島内地区ウエンドマリは、現在国道のトンネル化によって通行不可能な地域となってしまいましたが、かつては集落があり「雷電小学校」もありました。明治40年代から昭和11年まで存在した、その雷電小学校の資料、また、沿革としては地域でもっとも古い、慶應元年(1865)に寺子屋としてはじまった「島野小学校」の資料も初展示いたします!

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お花も見ごろ、お天気もいい季節となりました〜!
皆様のご来館をおまちしております!

 


 

posted by 岩内町郷土館 at 2021年06月26日11:14 | Comment(1) | TrackBack(0)

お知らせ岩内町郷土館は臨時休館中です

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5月31日までとされていた臨時休館でしたが、6月20日までの休館延期となりました。皆様にはご不便をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します。なお、6月13日まで開催の予定であった第一回企画展「郷土館お宝・珍品展パート7〜昭和46年〜」は、NOTE.comの新しい岩内町郷土館サイトhttps://note.com/iwanaikyoudo/n/n49d21371d8bb
で特別に公開展示しております! 連載ですよ〜。ぜひぜひご覧ください。

posted by 岩内町郷土館 at 2021年05月29日12:40 | Comment(0) | TrackBack(0)

できごと高橋常四郎翁の直筆の和歌を発見

北海道に出された緊急事態宣言のため、岩内町郷土館は5月18日(火)〜5月31日(日)の期間、臨時休館となりました。なお、お問合せや資料調査等、ご連絡の必要な方は、お電話、メール、メッセージにて対応可能です。お気軽にお問合せ下さい。

 さて、昨日資料室で見つけたのは、明治時代、岩内に於いて「私立岩宇同修学舎」という私学校を創設した高橋常四郎の直筆の和歌です。高橋翁は旧会津藩士で、戊辰戦争以降、並々ならぬ苦労の末に岩内へ来られました。そして当地の教育者として功績を残しただけではなく、和歌の道にも造詣が深く、流麗な筆使いと「恒道」という雅号で、一目でそれと確認できました。

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「京都在番の折洛東百 
 萬遍知恩寺なる屯所に
 夜もすがら法の声をきき
           て
   高はし恒みち
 百萬かへし唱ふる
 法の師も安御代
 いのる外やなからむ」

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「寄錦木恋
 身に負はぬにしき木とてや千歳まで
 たつれど人のつれなかるらむ」

 ほか、全部で7枚ありました。大切に保管します。

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先日の、ホリカップ浜より雷電刀掛岩を望む一枚。

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袋澗みなとの跡があります。

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望遠で対岸を写してみました。西校とマルハンが見えましたー!

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岩内山です。いよいよ夏バージョンの衣替えですー。

posted by 岩内町郷土館 at 2021年05月18日16:49 | Comment(0) | TrackBack(0)

お知らせ令和3年度の岩内町郷土館オープンです!

まだまだ風は少し冷たいのですが、岩内町郷土館は本日よりオープンです!

午前中より、ホールの生け花奉仕をして下さる岡田先生をはじめ、教育委員会担当のみなさま、地域おこし協力隊の面々にまじり、一般のご来館者もちらほらと。
 ありがとうございます! 本年もどうぞよろしくお願いいたします!

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郷土館第一回企画展「岩内町郷土館 開館50周年記念企画展 郷土館お宝・珍品展〜昭和46年」は、4月17日(土)より開催いたします! 皆様お待ちしておりますー!

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野束川に写る「さかさ岩内山」

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郵便ポスト。今時期は草も少ないので枝の間からその姿がよく見えます。

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岩内の空と海は、これからいよいよ見ごたえありですよ〜

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年04月06日16:40 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと眠っている観光資源を掘り起こし利用しよう−2014年の坂井館長のコラムより

 眠っている観光資源を掘り起こし利用しよう
                    岩内町郷土館館長 坂井 弘治

築100年以上過ぎた「簗瀬家」の玄関の上に旧会津藩主松平容保(かたもり)公の日光東照宮宮司時代の扁額がかかっている。持ち主であった故簗瀬辰之助氏は「東照宮修築のため多額の寄付をしたのでそのお礼。」と話していた。また、簗瀬家には容保と息子の松平容大(かたはる)からの手紙も掛け軸にされて残っている。内容は、容保の手紙は礼状だということが分かったが、息子の容大のもそうではないかと思われていたのだが、なにしろ難しくて判読できないでいた。

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それが最近になってようやく内容が判明した。そこで判明した新事実は、容大の手紙では明治29年3月に岩内にやってきて、岩内在住の旧会津藩関係者一同から饗応を受けている、ということと、何(多分、生活資金)かを頼み込んで帰っていったことである。また、容保の手紙では、「保晃会(日光東照宮を守る会)会長である自分は職務多忙なので、副会長を派遣」とあり、代理に副会長が来訪したことが分かった。この副会長は、安生順四郎と言い保晃会の生みの親であり、栃木県県議会議長、栃木県で最初の牧畜経営者であった。と、ここまではなかなか立派な人物に見える。しかし、おっとどっこい、足尾鉱毒事件では金にまつわる数々の不正疑惑の絶えなかった人物として登場してくる。
なにはともあれ、当時の栃木県の重要人物と、旧斗南藩主が旧会津藩士を頼って岩内にやってきたことは非常に興味深い。確かに日本全国に散らばっていた彼らの中で岩内在住者は、簗瀬を筆頭にそれなりの経済力があったと思われ、それがこの二つ手紙と扁額からも伺われる。
さて、簗瀬家には宝物がまだある。勿論、和洋折衷の建造物簗瀬邸もそうだが、庭もなかなかなものである。

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岩内には明治時代からの庭園が三園あるが、その中で規模は小さいが一番手入れがなされている。残り二つは井筒さんが所有している「含翆園(近別荘)」と成川さんの庭園である。この二つは歩いて1分足らずのところある。広大な敷地に数多くの由緒ある碑や石塔が立ち並び、江戸時代の狛犬が鎮座し、桜の名所でもある岩内神社からでも5分もかからない。先ほどの簗瀬邸からでも10分。東京以北最大の大仏がある帰厚院からも10分。その目と鼻の先にある全修寺には岩内の最初の道議会議員本間玄契が送った安珍清姫の屏風がある。本館にも総刺繍の屏風があるがそれに勝るとも劣らない立派なものである。

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ここまで書けばお分かりであろう。歩いて10分程度のところに立派な観光資源が8つもあるのだ。これは歴史の浅い北海道では稀有なことだと思っていい。これを有効に利用しない手はない。また、少し町に下がれば木田金次郎美術館がある。左に行けば、日本最初の築港記念碑を横目で見ながらその最初の工事現場を通り、江戸時代からの曲がりくねった道路を歩いて国道に出れば郷土館だ。

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美術館を右に行き、茅沼炭鉱線の線路跡の道路をたどって歩き、途中のどこかの角を左折すると深層水センターが見えて来る。こちらの方は20分程度かかるが、最近健康志向ブームでウオーキングツアーがはやっているので、この「歩き」も売りになる。
「歩き」と言えば円山観音山までのコースも売りになる。私は旅行が好きなのであちこちに行くが、最近目につくようになったのは、ノルデックウオーキング専用ポールを持って観光地を巡っている一団がいることだ。円山まで歩いて4キロ1時間、専用ポールをついてのウオーキングにはもってこいだ。途中に円山ヒーリンファームとホーストラスト北海道がある。駝鳥や馬と遊んで円山頂上の見晴台で疲れを癒すのもどうだろうか。
町の背景にある小高い山地には温泉があり、いにしえの昔、大陸から渡って来た古代人が書いたと言われている文字(文様)が残っている円山、その裾にある荒井記念美術館。キャンプ場からみる絶景の岩内市街と岩内湾等など。みるべきものは山にもある。

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 他の町では車で20分も走らないと、次の観光スポットに行けないが、岩内は違う。市街地の場合は、あっという間に次の観光スポットに行ける。郊外も歩いても健康的にはちょうどよい距離に目的地はある。観光地としての岩内の最大の強みは、面積が狭い、ということだ。合併前の岩内は面積わずかに4平方キロメートル。半日時間をとれば、バスに乗り降りすることなく、江戸時代からの道路から始まって、がごめ昆布の深層水センターまでの間にある数々のスポットを巡って十分に行くことができるのだ。

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 郷土館ではこれを想定して数年前に「歴史散歩ガイドマップ」を作ってみた。今年も改良を加えて、観光シーズンに間に合うように発行する予定である。問題はそれ以後である。これをどう活用するかは観光協会を中心にした関係機関で「活性委員会」のようなものを立ち上げ、そこがやるべきだと思っている。観光で飯が食える街づくりを目指して動くのはいつだ。今でしょう!

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posted by 岩内町郷土館 at 2021年02月01日20:37 | Comment(0) | TrackBack(0)

ひとりごと2005年の坂井館長の原稿より

本日、令和3年1月9日付の北海道新聞紙上で、坂井弘治郷土館館長の叙勲の記事を見つけました。

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 坂井館長は黒松内中学校の校長をつとめ、退職されました。その後郷土館館長に就かれて長く館の運営をされてきたのですが、やはり根っからの「先生」だった方でした。
 昨年、膨大な文書の入ったデータUSBを預かり、少しづつ解凍をしながら来年度への下ごしらえをしているのですが、中にはさまざまな媒体に寄稿した原稿もあります。なかなか面白く読み応えがあります。

2005年に坂井館長の書かれたものを紹介したいと思います。

郷土館館長奮戦記−身から出た錆−
坂井 弘治

 「なあに先生、館長室に座ってればいいんだから。」「非常勤ですから。」
「来館者数にはこだわらんで下さい。」ってなこといわれてその気になって〜
館長になったら大違い〜 
 と,誰かの歌ではないがなってみて驚いた。日々目の回るような忙しさで、
昨年の4月は、初出勤以来2週間以上休館日も含めて連日出勤した。その忙しさは今も続いている。
やらなければやらなくてもいいのだが、性分としてはそうはいかない。ついついあれやこれやとやり始めるのだから、忙しくなるのは当たり前で、女房などは身から出た錆と同情してくれない。多忙の原因の一つが今年から始めた年4回の企画展である。この10月の中旬からは、最後の企画展「岩内古地図展」が11月末まで開催される。岩内は歴史が古く裕福であったため、明治の初めから各種市街地図や港湾地図が出版され、それを展示するという企画だ。  
この地図の中に非常に面白いというか貴重なものとして「昭和13年第7師団町内宿泊図」という地図がある。これは、この年行われた秋季演習終了後実際に兵隊が泊った家とその人数が掲載されたものだ。(明治時代から羊蹄山麓での演習の後、それまで露営で過ごしてきた兵隊が民家で布団の中で休むのは岩内と決まっていた。第7師団の兵隊全員を収容できる町は、岩内しかなかったためである。彼等は、岩内で2日間ゆっくり休養した。当然ロマンスも生まれた。)地図上には赤鉛筆で、いろんな書き込みがあり、当時実際に使われたものであることが分かる。
また、この時、町外れで観兵式を行っているが、一番良い席は当然来賓席だが、次に良い席がなんと岩内高等女学校に与えられている。この事実をどう考えるか。あれこれと面白い想像が沸く。 
多忙の原因の二つ目は、来館者への説明である。私は、団体は勿論だが、個人であっても来館者に打診して、承諾を貰えば案内をすることにしている。そうすることで、私自身の勉強にもなるしお客さんの生の反応を知ることができ、それを館の経営に役立てることができるからだ。
このお客さんとのやり取りで異口同音に出てくる言葉に、「岩内の文化って凄いですね。」「こんなところ(こんな片田舎という意味)にこれほどの文化や歴史があったなんて・・・。」(これは本州のお客さんに多い。)「館内がきれいで良く整理されてますね。」「展示物が豊富ですね。」「うちの町に(関係者に)見せたい。」というお褒め言葉が圧倒的に多い。このような言葉に励まされてやる気がますます生まれる、というわけで、まさに教育は教え育てるでなく、おだて育てるだな、と改めて思っている。


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 岩内町郷土館は冬季休館中です。この連日の大雪で埋まりそうですが…いつも除雪に入って下さる業者の皆様、お世話になります!ありがとうございます!

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 写真は、昨年坂井館長が引退の時、記念にしていただきたくプレゼントした似顔絵です。かわいい(笑)。旭川在住のイラストレーター、小川けんいちさんが描いて下さったものです。
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posted by 岩内町郷土館 at 2021年01月09日15:32 | Comment(1) | TrackBack(0)

できごと泊村ヘロカルウシの「見返り岩」探索

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2021年が始まりました。本年も岩内町郷土館をどうぞよろしくお願いいたします!

さてこの一枚の古写真は「(岩内)古宇海岸見返り岩の奇勝」という説明付きの、昭和10年に発行された記念ハガキです。
 これがいったいどこの場所か皆目見当もつきませんでしたが、こんな素晴らしい景色が、岩宇のどこかにかつてあったのか…と思っておりました。郷土館の昨年度第3回企画展「郷土館お宝・珍品展」にても、パネル紹介をした写真です。

 さてその企画展の期間中、別件の取材で郷土館を訪れたあるお方が、このパネル写真を見て「ちょっと調べてみましょう」と興味を持って下さいました。ほどなくして、「おそらくここでしょう」とメールにて知らされたのは、ホリカップの先、ヘロカルウシ付近。今は泊原子力発電所の敷地内となっているところでした。
もし、場所が分かれば、同じ場所同じアングルで現在の写真を撮ってみたいですねえなどと考えていましたが、まず無理でしょうと思いきや……。

「内部に入ることができますよ!」

 ええええ! 

 一枚の古写真から、データを調べつくし場所を特定し、原発敷地内のその場所へ入る連絡や準備、すべての手筈を整えて下さったのは、小樽開発建設部の方々です! そして、内部でご案内をして下さいました北電の担当者のみなさま、お世話になりました。ありがとうございました〜。 

 というわけで、令和2年11月に開建の皆様、札幌のコンサル会社の皆様、そして郷土館とにしん御殿とまりのメンバーで実現した現地調査。この「チーム見返り岩」の調査報告として、北電さまより提供された写真をご紹介いたします。(外来者の内部撮影は禁止なので、同行の北電の方に撮影していただいたものです。あっちを撮ってくれこっちも撮ってくれと、かなり勝手を申しましてお手数をおかけしました笑)

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 上の写真の赤ヤジルシ部分の、拝んだような形の岩と、手前の草地の部分、海の向こうの山の位置などから見て、ここが昭和10年の古写真と同じ場所であると同行の全員が確信しました。

 さらに次の写真は、その同じ場所の波打ち際の様子です。

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 赤ヤジルシで示した画面右の海中に突き出た細い岩と、左側コンクリートを突き破るような大岩ですが、これは、郷土館の映像コーナーで見られる「昭和初期の岩内」の中、同じ見返り岩を写した映像の中にありました! 

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 この映像で裏付けが取れ、現在の写真の位置が「見返り岩」の場所であると確定しました。

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 隧道の手前、右の方にすっくと立つ細長い岩。これが見返り美人に見立てられて、「見返り岩」の名がついたというお話を、同行した鰊御殿とまりの本間館長から聞きました。その岩が現在は、原発の護岸コンクリートをものともせず、ガンと動かず在り続けているその姿に、感動するのは私だけでしょうか……。

あらためてご協力いただきました皆様、ありがとうございました!(R)



posted by 岩内町郷土館 at 2021年01月04日00:26 | Comment(0) | TrackBack(0)